2013年10月27日日曜日

礼拝メッセージ2013年10月27日

説教題   「育て実を結ばせる神」

聖 書   ヨハネによる福音書 第1515

(序論)「山上の垂訓」と言われるイエス様の説教は、弟子たちと当時の社会の中で大切にされなかった人々に語られたものです。主は「無学なただ人」が理解できる言葉で語ります。誰でも神と人のために有用な存在であることを自覚させます。具体的に「世の光、地の塩」として生きる力を神様は一人ひとりに与え、育ててくださいます。神様は私たちにとって農夫の役目を果たしてくださるのです。

(本論)農夫の仕事は、時期を得た種まきをすることです。そして発芽から花咲かすことを忍耐強く待ち、結実させ収穫まで期待して見守ることを仕事とします。
 種は小さいですが、たとえ「からしだね」でもこ生命ある種は成長して、空の鳥が来てその枝に宿るほどの木になるのです(マタイによる福音書1332)。小さいものを育ててくださる神は豊かな実を結ばせてくださいます。神様は見回り、手入れして、神ご自身がそのことを楽しむかのように、一人ひとりに関わってくださいます。決して見捨てられません。これが神様のやり方です。

(結論)私たちも農夫である神様に見守っていただきながら生かされていることを実感しましょう。他人と比べて自分を評価したりしないで、行き届いた主の眼差しに励まされて、時に大胆に自分の人生の軌道修正をして、神様に向き合いましょう。
 疲れた時、無意味に思える時、こんな詩を口ずさんでください。
  はきだめに えんどう豆咲き
  泥沼から 蓮の花が育つ
  人みなに 美しき種あり

  明日 何が咲くか     (安積得也)

2013年10月20日日曜日

礼拝メッセージ2013年10月20日

説教題   「神の言葉に聴従する僕」

聖 書   ルカによる福音書 第5111

(
序論) イエス様は、平凡な日常生活を通して人間の生きる意味を諭して下さいます。親子の確執や兄弟の不和、人とのすれ違いの空しさを覚える時、その真ん中に主は立って下さいます。今日のテキストは徒労に終わった漁師たちを通して、神様は無駄なく働いて、神様の栄光を表すようにと導いて下さっていることを私たちに自覚させます。
 
(
本論)
 夜通し働いたのに魚一匹も取れなかった漁師の失望落胆。彼らは網を洗っていました。啄木の「働けど働けど我が暮らし楽にならず」です。しかし、その時、メシヤなる主が声をかけます、「沖へ漕ぎ出せ」。そこは浮世です。虚無と混沌が渦巻くところに出て行きなさい。これがイエス様の導きの言葉です。みんなが生きている、生活している、この世という場所で主を信ずる者の生き様を見せなさいと手は言われます。
「恐れるな、今からあなたは人を取る漁師になる」

人を取る漁師、という人生の目的を明確に示します。彼らがそのお言葉に従った時、豊かな獲物が与えられたのです。予想し難い獲物が。信仰は、虚無の中にあっても、神の言葉によって勇気を与えられ、新しい行動を起こして行くことができるのです。

(
結論)
 人はみな、失望と落胆というレッスンを通して、自分らしく生きることをつかみとります。信仰によってたくましく生きた主の僕は、「死の影の谷」をも走破する者に育てて下さる神に自分を委ねました。生活の中に起こる一つひとつの経験が神様を深く理解し、信じてすべてのことを前向きに受け止められる信仰者になれるのです。

2013年10月13日日曜日

礼拝メッセージ2013年10月13日

説教題   「深い憐れみの心」

聖 書   マルコによる福音書 第63034

(
序論) イエス様は人間を飼い主のいない迷う羊のように憐れまれました。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊の様な有様を深く憐れみ、いろいろと教えられた」(マルコ634

 
(
本論)
 人は他人から憐れまれることを嫌い、プライドを傷つけられたと逃避的になり、孤独の中に自分を押し込んだりします。しかし、イエス・キリストはまことの憐れみを持って救いの手を差し伸べてくださいます。主イエス様は、「かわいそうに」「気の毒に」と思うだけでなく、声をかけて「安心して私の所に来なさい」と招いてくださいます。そして、生きることに疲れた私たちに新しい希望と気力を与えてくださいます。イエス様の憐れみは、人々への深い思いやりであり、相手に同情し相手の苦しみを自分の苦しみとしてになってくださる究極の愛であす。そのことはイエス様がすべての人々の罪をになって十字架の死さえ受け入れてくださったことに表れています。

(
結論) 
 ルカによる福音書第10章の「良きサマリヤ人」の姿こそ、神様の真の憐れみの姿です。サマリヤ人は、傷つき助けを必要とする人を憐れむだけでなく、再び生きることができる手立てまで考え、それを実行しました。慈悲の心に行動が伴っています。「私の言葉を聞いて行う人になりなさい」と語られるイエス様に従って行きましょう。

2013年10月6日日曜日

礼拝メッセージ2013年10月6日

メッセージ  「人生の回復」

聖 書   ローマ人への手紙 第3918

(
序論) 
 神様は、自分のような者でも、ご自身の作品として造られたのだと信じられることが大切です。神様が求めておられる本来の私とはとのような者かを、神様の光で見させていただきましょう。そこに、信仰の出発点が隠されています。

(
本論)
 聖書は、人間の本性を「義人はいない。一人もいない」ローマ人への手紙310)と説き、人は神に背く者として生きているのだから、「新しく生まれ変わらなければ」(ヨハネによる福音書3:7)「神に国に入ることはできない」(同35)と諭します。新しく生まれ変わる、これがクリスチャンの出発点です。そして、信仰における新しい生き方は、すべてをイエス・キリストにお任せすることから始まります。

 使徒パウロは、「キリストを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいを損と思っている」(ピリピ人への手紙38)、彼は自分の過去の誇りを糞土のように思うと言っています。クリスチャンの大事な決断は、「死んだ、そして生きた」、「失った、しかし得た」ということであり、多くの信仰の先輩たちがその生き様を通して証ししています。

(
結論)
  神様はご自分に従う者の人生に責任を持つと約束され、その人を必ず守って、その終わりには平安な安息地に導いてくださいます。