2020年9月20日日曜日

礼拝メッセージ 2020年9月20日
説教題 「安息と沈黙」
  書  マルコによる福音書 43541
 
(序論)今日の箇所には、イエス様と弟子たちが、舟に乗って向こう岸に渡ろうとした時のことが書かれています。ガリラヤ湖は、四方を山で囲まれており、まるで、すり鉢の底のようになっています。それで気温の変化によって、時々突然に突風が、吹くことがあったようです。今回の突風は、今までにないもので、さすがの弟子たちも、恐れるほどのものでした。
 
(本論)1)安息を命じられる神  イエス様は、風と湖にむかって「静まれ、黙れ」と言われました。しかし、この言葉を聞いた弟子たちは、それが自分たちに対しても語られたと感じたに違いないと思います。突然の嵐に慌てふためいていた弟子たちもまた「静まれ、黙れ」という声に従う必要があったのです。
この箇所を読むたびに、自分の回りにも、様々な課題や困難が吹き荒れていることを感じます。私は、「イエス様、私を取り囲む課題や困難の嵐に向かって、『静まれ、黙れ』と命じてください」と願いましたが、嵐は、私の外側だけでなく、私の内側にも、吹き荒れているのです。それで、「どうぞ、私の心にも『静まれ、黙れ』と命じてください」と祈る必要があります。
 日本では「過労死」で多くの人が亡くなります。日本語の「過労死」がそのまま英語になって、2002年以来、オックスフォード辞書に載っていますが、これは決して自慢できることではありません。神様は、わたしたちをいやし、強めるために、「安息」を命じてくださいました。七日に一日の休みだけでなく、一日24時間の三分の一は睡眠という「安息」が必要です。礼拝の日は「安息日」と呼ばれます。この日、いままでやってきたことを、一旦やめて、礼拝に向かうのです。神様が七日に一日、この日を与えてくださったのは、わたしたちが日常を断ち切って、神様を礼拝するためです。
 
2)沈黙を命じられる神  「安息」と「沈黙」は一対のものです。「安息」は、それが身体を使ってであれ、心を使ってであれ、何かの働きを止めることを意味しています。「沈黙」はそこから一歩進んで、神のみ旨を知るために、身も心も整えることを指しています。「沈黙」は、ただ、何も言わない、とい言うだけのことではありません。それは神様の言葉に聞き、神様を想うことです。
マザーテレサがCBSテレビのインタビューに出たとき、こんなやりとりがありました。「マザー、祈るとき、神様に何と言って語りかけるのですか」?
「わたしは何も話しません。神様に聞くだけです」
「それじゃ、神様はマザーに何と言って話されるのですか」
「神は何も言われません。神はわたしに聞いてくださるだけです」
 
(結論) 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」わたしたちは、沈黙によって神様のみ心を、知る必要があります。

2020年9月13日日曜日

礼拝メッセージ 2020年9月13日
説教題 「星のようにこの世に輝く者」
  書  ピリピ人への手紙2章1316
(序論)このピリピ人への手紙は、宣教のために捕らえられたパウロが、獄中からピリピの教会に書き送った手紙で、ピリピの教会を思い、祈るたびに喜びと感謝に満たされると語っています。パウロは自分の身に起こった事、彼の投獄によって福音が前進したと言います。今日の13節から16節で、二つのポイントでお語りいたします。
 
(本論)1)クリスチャンの人生は、「神様と人との共同作業」です。
キリスト教に余りなじみの無い方は、漠然と「キリスト教を信じると『窮屈な』人間になる」と感じている方が多いように思います。「縛られたくない」と感じているのです。13節「…御心のままに望ませ…」(新共同訳)とあります。これは「神の意志」という意味ですが、ある人はこの「御心一筋」で生きようとします。つまり「自分の意志を押し殺して、神様が願われることだけを、ひたすら行おうと務めるべきだ」という考え方です。
 一方、これとは反対のタイプの方も、現実にいます。「御心などどこ吹く風」の人です。またある方は、片足だけ「御心」、片足は「この世、現実」に生きるという信仰です。 聖書が教えている信仰者の歩みとは、このどちらでもありません。
大切なことは「神様の思いと私たちの思いが相まって、一つとなっていること」です。 今日のみ言葉は、まさにそのことを教えています。ここには、自分というものを消し去れ、という思想はひとつもありません。 神様は、私たちの心に「志=願い」を与えて下さり、そして、実際に事を行なう実行力も、与えて下さるということです。クリスチャンの人生とは「神と人との協同作業」です。「二人三脚」です。
2)神のご計画の中で、星のようにこの世で輝く者になる。
15節の「いのちの言葉」とは、イエス様の言葉です。イエス様は道、真理、命なるお方です。日本において、クリスチャンは少数派です。むしろ少数派だからこそ、あなたが持つ輝きが、重要になります。本物を知らない日本だからこそ、本物を知っているあなたが輝くのです。
神様は、あなたの想像をはるかに超える、計画を用意しておられます。今、あなたが置かれている場所は、神様が意図して備えられた場所であり、そして、神様は御心のままに、あなたの内に志を立てさせ、実現に至らせてくださる、と聖書は約束しています(13節)。あなたのように、イエス様の言葉を握り、この世界で、星のように輝く人たちが、あなたを通して次々と起こされていくように主は祈って下さっています。

2020年9月7日月曜日

礼拝メッセージ  2020年9月6日
説教題 「神さまの意志決定」
  書  詩篇 139篇 1317
(序論)この139篇は、神様の全知、全能、偏在をうたった美しい詩で、詩篇の中の、冠とまで言われる傑作です。
(本論)13節に「あなたは、わが内臓をつくり、わが母の胎内で、私を組み立てられました」とあります。
ある姉妹がバプテスマを受けるとき、次のような証しをされました。「わたしが神様を初めて意識したのは、妊娠した時でした。受精卵がどうして『一人の完全な人間』になるのか、それ以前にどうして、私と夫との間に子供が授かったのか、もっとそれ以前に、どうして夫と私が出会ったのか。
 人は、理屈で説明できない時に、よく『神業』といいますが、これらの出来事はまさに、私にとっては『神業』以外の、何ものでもありませんでした。でもその時は、どの神様が、こんな偉大なことをなさったのかは、知りませんでした。ただ、無事に子どもが生まれたことを感謝していました。
 そして、ある時、『あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました』というところを読んだ時、『これだ!』と思いました。聖書の神様が、私や子どもを造ってくださった、ことが分かりました。」
 この人と同じように、妊娠や出産を通して「神がおられる」と感じた人は、多いと思います。それは母親となった女性だけでなく、父親となった男性も、同じだと思います。かわいい赤ちゃんを見て、「これは偶然の産物だ」「進化の結果だ」などと言う人は、誰もいないでしょう。小さな赤ちゃんの中に、備わったみごとな秩序を見れば、誰もが、「偶然は、秩序を生み出すことはない」という道理が分かり、その背後に、知性と愛を持った人格者がおられることを、感じることだろうと思います。
 大きな宇宙にも、小さな原子にも、神の知恵と力とが示されていますが、わたしたち人間はそれに劣らず、神の知恵と力、その栄光を示すものとして、神様に造られました。 ジャン・カルヴァンは、このことを次のように言いました。「人間は小宇宙である。」「母の乳房にすがっているみどりごですら、他の弁論家たちを、ただの一人も必要とせずに、神の栄光を告げ知らせて余りある。」「人間は自らのうちに、いわば神のけだかくも数えがたい御業の工場を持ち、また同様に、神のはかりがたい御業を、ぎっしりたくわえた店舗を持っている。」と。
(結論)私達は、偶発発生的に、この地上に産み落とされた者ではありません。そこには深い神様の摂理と、神様の意思決定がありました。私達には、神様よりの使命があります。み言葉は、私達を自己意識からさらに神意識へと目覚めさせて下さいます。