2018年7月29日日曜日

礼拝メッセージ  2018年 7月 29日 
説教題  「愛する人からの最高の贈り物」 
聖  書  使徒行伝 第16章6〜10節
(序論)私たちクリスチャンにとって、「愛する人」とは?勿論、イエス・キリストですね。では、私たちに贈られた「最高の贈り物」とは何でしょうか?
(本論)ナザレン教団は、「きよめ」「聖化」を標榜し、ナザレン新報でも毎回「聖化へのまねき」を連載しています。聖書は、聖霊が主を信じる全ての人に与えられ、聖霊がわたしたちの内に働いて、キリストに似る者にさせて下さると記しています。
 本日の聖書では、パウロ達が聖霊によって、自分達の計画するアジア宣教が二度にわたって禁じられ、幻によりマケドニア、つまりヨーロッパへの宣教へと導かれました。これらのことから示されるのは、①聖霊は良い計画を閉ざされることがあること、②聖霊は人間の理性も用いられること、③私たちは隣人の叫びを聞いているだろうか?ということです。
 パウロを導き、今も私達を導かれる聖霊について考えてみましょう。  
1.聖霊の注がれ方は、一人ひとり違う。
2.聖霊の導きは、普段の生活の中でなされる。
3.聖霊は即刻の行動は求められない。
4.聖霊の導きに気づかなかった時、がっかりしない。
5.聖霊の導きを絶えず求め、祈り続けること。
(結論)1.聖なる神様は、私たちを聖なる生き方へと召しておられます:「わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。」(レビ記11:45
2.神は、神の霊を私たちの内に宿らせ(聖化)、キリストに倣う弟子とならせ、キリストに似た者へと変容させてくださいます:「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20
3.聖霊は、ペテロやパウロ、その他の信仰深い人たちにだけ注がれるのではなく、イエス様を信じ、罪を赦された人には、誰にでもすべての人に聖霊は注がれます:「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(使徒行伝2:17
 私たちを愛してくださる主は、最高の贈り物「聖霊」を贈ってくださり、キリストに似るものとさせてくださいます。感謝!ハレルヤ!

2018年7月23日月曜日

礼拝メッセージ  2018年 7月 22日 
説教題  「主の励ましと約束」 
聖  書  使徒行伝 第18章9〜16節
(序論)ある夜、主が幻によってパウロに、この町には主の民がたくさんいるので、恐れず語り続けるようにと言われました。そこでパウロは、1年半そこに腰を据えて神の言葉を教え続けます。ユダヤ人たちが反抗してパウロを法定に引いて行きました。地方総督ガリオは、その訴えを受け入れずユダヤ人たちを法定から追い出しました。
 
(本論1)信仰の友 アテネを去ってコリントへ来たパウロは、アクラとプリスキラというキリスト者夫婦との出会いが起こります。(1-3)彼らはローマの教会員でしたが、ローマ皇帝のユダヤ人追放令でローマからコリントまで来た時、パウロと出会ったのでした。しかも同じ天幕作りの職を持っていたのでした。パウロはアテネでの議論による失敗にこりて、コリントでは優れた人間の知恵を用いず、ただ十字架につけられたイエス・キリストのみを伝えようと決心していました。(第一コリント2:1、2) ヨーロッパに足を踏み入れ、手さぐりしながら伝道していたパウロは、大きな勇気と力を得ました。アクラとプリスキラの家に住み込んで、天幕作りの仕事をして生活費をかせぎながら、安息日ごとにイエスはキリストであることを語りました。
2)語り続けよ。黙ってはいけない。この町にはわたしの民がたくさんいる。        
パウロはお金がないと働きながら、金が与えられるとフルタイムで、いずれにしても力いっぱい、イエス・キリストを宣べ伝えることのみに生きました。キリスト気狂(きぐる)いの歩みです。そんなパウロもユダヤ人の反抗により心が折れそうになったこともあったのでしょう。9節、主は幻によって語られました。
「恐れないで語り続けなさい。黙っているな。あなたにはわたしがついている。誰も危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」また、エリヤにも「バアルに膝をかがめなかった七千人を残しておいた」と告げて励まされました。13節から16節、主は、お言葉通りユダヤ人の謀略からパウロを守ってくださいました。
 
(結論)パウロは、素晴らしい同労者に出会いました。見知らぬ地で、自分と同業者、しかもクリスチャンに出会ったことは、パウロにとって大きな力となりました。私たちも、兄弟姉妹と力を合わせて世にイエス様のことを伝えたいものです。

2018年7月15日日曜日

礼拝メッセージ  2018年 7月 15日 
説教題  「聖なる怒り」 
聖  書  使徒行伝 第17章16〜23節
(序論)パウロは、アテネに偶像がいっぱいなのを見て憤りを感じ、会堂や広場で毎日議論しました。エピクロス派とストア派の哲学者たちは、イエス様と復活を宣べ伝えているパウロをアレオパゴスに連れて行って、彼の言葉の意味を尋ねました。パウロは、「知られない神に」と刻まれた祭壇があるのを見て「あなた方が知らずに拝んでいる神を教えよう」と福音を伝えました。
 
(本論)アレオパゴスとは、古代ギリシア、アテネのアクロポリス北西の丘に
あった広場で、紀元50年頃、使徒パウロは、この丘でアテネ市民に向けて福音を宣べ伝えました。
(1)聖なる怒り パウロは、神様がおられる場所に偶像が建てられているのを見ると胸が痛みます。アテネが偶像でいっぱいなのを見て、聖なる怒りをパウロは感じました。そこでパウロは、、安息日には会堂で、平日には様々な人が集まる広場で、福音を伝えました。パウロは、自分と立場が違うからといって交わりを持たないのではなく、反発が予想される論争に積極的に臨んで、堂々と主を伝えました。あなたが聖なる怒りを感じるのは、どんな時ですか。
 
(2)永遠不滅の絶対的な真理 世の人々が追い求める「一番新しいもの」は、時間がたてば「古いもの」になり、虚しさだけが残ります。
しかし、イエス・キリストの福音は決して朽ちることのない、永遠不滅の絶対的な真理です。パウロが宣べ伝えた「イエス様と復活」の話に、アテネの人々が関心を示したのは、それが今まで聞いたことのない「新しい」教えだったからです。パウロは、彼らがまだ「知らない神」について教えました。ピリピ3章8節でパウロは、「イエス・キリストを知る知識の絶大な価値」と言っています。知恵と知識との宝がすべて隠されている主を知り、永遠の命を得るなら、それまでの「珍しいこと」から「素晴らしいこと」と告白するようになります。
 
(結論)アテネの人々は、論争に多くの時間を費やしていました。あなたは何に多くの時間を、何に重きを置いていますか。様々な偶像がある日本を、霊的な無知をあわれんでください。内なる人を、新しくしてくださる主に、すべての時間と情熱をささげることが出来ますように。

2018年7月8日日曜日


礼拝メッセージ  2018年 7月 8日 
説教題  「教会のとりなしの祈り」 
聖  書  使徒行伝 第12章1〜11節
(序論)ヤコブの死がユダヤ人の気に入ると、ヘロデ王はペテロも捕らえて牢に入れます。教会は彼のために熱心に祈り続けます。ヘロデ王が彼を引き出そうとしていた日の前夜、主のみ使いがペテロを救い出します。ペテロは、それが主のみわざであることに気づき、大勢の人が集まって祈っているマリヤの家に行きました。使徒12章1節から12節です。
(本論)13節以降でペテロは、兄弟たちに、主がどのように牢から救い出してくださったかを話しました。
1)神様は、不可能を可能にされる全能なるお方です。ヘロデ王がペテロを殺す予定日の前夜、厳重な警備にもかかわらず、ペテロは、牢獄から出ることが出来たのは驚くべき奇跡です。使徒の殉教や激しい迫害によって恐れていた信徒たちにとって、ペテロに起こった奇跡は大きな慰めになりました。
危機の時、全能者の介入と救いは、苦難の中にあるクリスチャンに、慰めと希望を与えます。
2)人間の第一の目的は、神様に栄光を帰すことです。ヘロデ王は、残忍で高慢でした。彼の残忍さは、使徒ヤコブを剣で殺し、ペテロの警備にあたっていた兵士たちを全て殺したことによく表れています。また、彼の高慢さは、自分を神格化する民の叫び声に酔って、神様に帰すべき栄光を横取りしたことに表れています。教会を迫害し、神様の栄光を横取りしたヘロデ王の最後は悲惨なものでした。虫に嚙まれて死んでしまったのです。
(結論)ヘロデ王の死から、聖書は私たちにどんな教訓を与えているでしょうか。人からもてはやされるとき、どのように反応すべきでしょうか。
人に認められることで、自分の存在価値を確認しようとしてしまいます。それは、虚しいことであることを悟り、ただ神様によって満足する者になれますように。どんな立場にあっても、主の忠実なしもべとなり、福音伝道の働き手となることが出来ますように。

2018年7月1日日曜日

礼拝メッセージ  2018年 7月 1日 
説教題  「迫害者を伝道者へ」 
聖  書  使徒行伝 第9章1〜5節
(序論)サウロは、大祭司のところに行き、弟子たちを捕まえるために手紙を書いてくれるように頼みます。ダマスコ近くで、突然天からの光に照らされて、地に倒れたサウロは、迫害してきたイエス様の声を聞きます。その後、殺意に燃えていたサウロは、主の前にひれ伏します。
 
(本論)ステパノの死後、サウロは教会を荒らし、聖徒たちを牢に入れました。散らされた人々は、み言葉を宣べ伝えながら巡り歩きます。ピリポがサマリヤに行ってキリストを宣べ伝え、しるしを行うと多くの人から汚れた霊が出ていき、病が癒されたので大きな喜びが起こりました。
 1. 聖徒たちは迫害によって故郷であるエルサレムを離れ、散らされました。しかし、彼らと共に福音も散らされました。迫害や困難によって住んでいた場所を離れることなど、出来れば経験したくありません。しかし、その不便ささえも働きのための最善の条件になります。苦境に置かれ、不平を言いたい誘惑にかられても、そのような状況を許された神様の特別な御心を尋ね求め、御心に従いましょう。
 2. イエス様は、主の弟子たちに対する迫害は、ご自分に対する迫害だと明らかにされます。彼らはイエスの血潮の代価によって買い取られた存在だからです。ダマスコに行ったサウロは、三日間断食をします。血気にあふれ、殺気がみなぎっていた姿は影も形もありません。神様は、神の国の働きを委ねる時、まず人間的な力をなくさせます。新しい力、すなわち天から来る神の力を注ぎ、神様の働きを担うのにふさわしい器にするためです。欠点や弱点があるにもかかわらず、私を選び、器として用いてくださいます。
 
(結論)主は、この世の視点で生きてきたサウロの目から「うろこのような物」を落とし、彼に新しいビジョンを与えました。バプテスマを受け聖霊に満たされて会堂で福音を伝え始めました。ユダヤ人のシナゴーグ会堂は、サウロがクリスチャンを捕らえる拠点としていましたが、その場所でイエスは「神の子」であり「キリスト」であるとサウロが証言し始めたので、ユダヤ人たちは驚かざるを得ませんでした。福音には、敵までも主の証し人に変える力があります。