礼拝メッセージ 2015年 7月26日
説教題 「小さきものに近づく勇気」
聖 書 マタイによる福音書 第18章 1〜5節
聖 書 マタイによる福音書 第18章 1〜5節
(序論) 人は「誰が偉いか」を競います。主の弟子たちもそうでした。その時主は、幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われました。「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」(マタイ18章:2-4)。
(本論) 子どもとは育ちゆく途中の存在です。弱く未完の器です。誰かの助けを必要とする存在です。その中に私たちの目を開く教材が隠れています。私たちがいつか忘れている事、それは誰かに支えられながら今日ある自分とならせていただいたという謙遜な自己認識です。頼りない存在の自分が助けられ、人に仕える心を与えられている事、これを忘れるなと子どもを見て気づくのです。他者をキリストの名によって受け入れることをイエス様は大事な教訓とされています。出会いの不思議さの中で、希望と笑いのある人生を発見します。それはどんな人とも主の名によって出会わせていただいたという信仰です。どのような人との関わりであるにせよ、御名による必 然の出会いは、主と共にいつか共働者に育てられる関係かもしれませせん。
(結論) 日常生活の中で、他者に対して無関心という冷たい心の持ち主にならないように、主にあるぬくもりを持って助けを必要とする人々に近づいていきましょう。小さい者を無視しがちな自分に気づかせていただきながら、幼な子に近づくこの行為を通して、小さき者に近づく勇気を持たせていただきたいと思います。将来この教会を担ってくれる子どもたちとの出会いのために、心を合わせて主に仕えてまいりましょう。