礼拝メッセージ 2016年 4月 24日
説教題 「失敗と挫折感の回復」
聖 書 列王紀上 第19章1〜8節
聖 書 列王紀上 第19章1〜8節
(序論) 私たちは、たびたび挫折感を受けます。神様は、いつでも私たちに良いものを与え、いのちで満たすことを願っておられます。なぜなら、神はあらゆる点ですばらしい神であり、いのちと麗しさの神であられるからです。しかし、祝福してくださるとき、心の姿勢が否定的であると、神様は、私たちに祝福を与えることができません。
(本論) 心が否定的になる要素の一つが挫折感です。自分の欠点を過大に考えるとき生まれる感情のことです。
パウロは、アジアへ福音を宣べ伝えに行こうとしましたが、失敗しました。次にビテニアへ行こうとしましたが、また失敗しました。彼は、トロアスへ下って行って、祈りのうちに幻を見てマケドニアへ行きました。そこで大きく成功しました。パウロが失敗したのは、アジアへ行くこととビテニアへ行くことだけで、神の働きをすることに失敗したのではありません。多くの人が、何回かの失敗を一時的なものと考えるよりも自分自身を失敗者と考えるゆえ、挫折感に陥るのです。
エリヤほどの偉大な信仰の勇士でも、イゼベルが殺すと脅かした言葉に落胆して、三日の道のりを逃げて神に命を取って下さいと慟哭して祈りました。神様は、落胆したエリヤをほっておかれましたか。そんなことはありませんでした。十分な休息を与え、励まして再び主のしもべとして立ち上がらせてくださいました。
(結論) 神様は、あなたが能力のない失敗者であることをよくご承知の上で、ご自身であなたを選ばれたのですから、一度、二度失敗したからといって決してあなたを捨てたりなさいません。ダビデが、詩篇23篇で告白しているように前向きな信仰告白をして、祝福の中を歩みましょう。