2015年6月14日日曜日

礼拝メッセージ  2015年 6月14日
説教題   「御国をめざす旅人
聖 書  ヘブル人への手紙 第11章13〜16節
(序論) 毎年教会では、この時期召天者記念礼拝を守ってきました。先に御国に凱旋された兄弟姉妹のことを覚えて偲ぶ時です。これらの方々の懐かしい思い出がよみがえってきます。異なった人生を歩みつつ、不思議な神様の導きによって出会い、神の栄光のために共に労することができたことは本当に幸いでした。神様の前に覚え合うことが召天者記念の意義です。
(本論) 聖書が示す御国への道を旅人として、信仰をもって歩み続ける私たちです。多くの困難を通り抜けるために、兄弟姉妹の愛の関わりによって今日があるのです。信仰の友が成熟した信仰者になりたいという望みを持たせて下さいました。どんな時でも神様が私たちと共に居られます。平凡な生活の中で、困難の真中で、詩篇90篇を朗読して信仰告白ができます。「われらのよわいは70年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしょう。しかし、その一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです」(10節)。「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(12節)。
(本論) キリスト者は真に死と向き合いながら、「しっかり生きなさい」との神様の声を聴かされます。死がすべての終わりではなく、イエス様の十字架によって与えられた新しい命に生きる日々を、自分の人生とさせていただきましょう。人の幸せのために生き抜かれた信仰の先輩に感謝しましょう。あの時、あの方の一言によって自分の曲がり角を間違いなく決めさせてもらった、そんな言葉を思い出しませんか?やがて私たちにも終わりがあります。御国への道を共に励まし合って完走させていただきましょう。

2015年6月12日金曜日

拝メッセージ  2015年 6月 7日
説教題   「豊かに用いられるたまもの
聖 書  伝道の書 第3章10〜15節
(序論) 神様は私たちに、「生きることを楽しみなさい」と言っておられます。生きることは苦労の多いしんどいことでもあります。しかし、神様は苦労と思える中を通り抜けると、もう一つの現実が用意されていると言われます。それは、生きることの喜びと幸せを味わえるものです。聖書には「神のなさることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3:11)と書かれています。
(本論) ですから、「そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である」(伝道の書3:13)。ここに生かされている自分であることの理由があります。人を祝福し、自分を励まし、神を賛美しながら愉快に生きる人間の姿が、私たちの幸いの姿です。自分の良さを互いのために役立てて、イエス・キリストによって神が崇められるように祈り願う者とされる時、私たちは新しい光の中を歩みだすのです。神様を中心に人々と出会う時、愛をもって一生懸命に互いに生きることを学ばせられます。すべてのことに感謝のできる者にならせていただくのです。神様はいつも良き結果に向かって導いてくださると信じることが、クリスチャンの人生です。「人は皆互いに支え 合う者」と、聖書はこのことを、私たちは肢体として結び合わされている、と表現しています。神様は私を必要として信仰の世界に導いてくださり、豊かに用いて神の栄光を表わす者に育ててくださると信じましょう。
(本論) こう信じる時、どんな時も厳しい現実の中で神様により頼む信仰の勇者になれます。神様はどんな境遇の中でも、私たちと共にいてくださいます。今は恵みの時です。神様はどんな中に置かれている時も、私に一番良いことをしてくださるのです。だから立ち上がって自分を献げ、御手に委ねて、豊かに用いてくださる神を信じていきましょう。



 
(結論)