礼拝メッセージ 2018年 9月 23日
説教題 「ゆだねられた所有物」
聖 書 歴代志上 第29章10〜14節
(序論) ダビデは、全集団の目の前で、全てのもののかしらである主をほめたたえます。そして、民が神殿建築のために捧げた全てのものは神様のものであると告白し、みずから進んで捧げる力を与えて下さった神様に感謝します。
(本論) すべてが神様のものであることを悟った人は、感謝と賛美を捧げずにはいられません。ダビデは、神殿建築のためにみずから進んで捧げる心が与えられた事に感謝し賛美しています。
ダビデは、一国の最高統治者ですが、力と尊厳、天と地にあるもの、そして王国も、すべては神様のものであることを告白しています。 これは、神様の前で自分は取るに足らない存在で、神様の「しもべ」にすぎないということを知っている者の告白です。 自分と民が神殿建築のために捧げたものも、本来は神様のものなので、主人である神様にお返ししたにすぎない、というダビデの告白には、管理人としての心構えが表れています。
クリスチャンは、天の故郷を仰ぎ見て生きる旅人です。 一時的にとどまっているに過ぎないこの世に望みを置かず、また、神様からゆだねられた所有物を永遠のものと考えず、主の働きにふさわしく用いなければなりません。
(結論) 私たちは主に、精一杯の奉仕し、捧げものをしていると自負しているとしても、実は主からいただいたものを、お返ししたにすぎないことが分かります。主から受け取ったもの、健康、家族、賜物、信仰、物品、その他、これらはすべては恵みであり、また主の栄光のためにお返しできることも、恵みであることを覚えて礼拝ごとに主に感謝し、主に喜ばれることが出来るように祈ります。