2020年6月7日日曜日

礼拝メッセージ  2020年 6月 7日
説教題 「祈らない罪」
  書  使徒行伝 第1章14節
序論)今日の箇所は、初代教会の聖徒の祈りから恵みをいただきたいと願っています。皆さんは、良く祈って下さっておられることを知っていますが、私は今回「祈らない罪」という言葉に出合いました。特に初代教会の「婦人たち」が祈っていたことを、聖書は語っています。
 
(本論)「祈る」と不思議なことが起こり始めます。
祈りは神の門を開くカギです。祈らない魂は、常に餓え、渇いています。
 しかし、座り直して、主の聖なる御名を呼び、祈っている時に、場面は全く変わって来ます。外面ばかりでなく、祈りによって、私たちの内面が変わって来ます。これは主のご聖霊の働きです。
 私たちが、初代教会に学ぶことは、祈りです。彼らは、少しも疑いも抱かず、ひたすらに主に祈りました。彼らは皆、心を一つにして祈りました。祈れば祈るほど、心は清められ、ご聖霊の力を、その身に感じました。祈る時に、天は開け、ご聖霊の導きが、鮮やかになります。
祈らない時に、全てのピントが狂って来ます。祈りは理想ではありません。現実です。
 初代教会は、イエス様の母マリアとイエス様の弟子たちと共に、祈りに祈って伝道しました。私たちも、ひたすら祈りたいものです。
熱心に祈りたいものです。心清められて祈りましょう。祈りは聴かれます。必ず聴かれます。祈りは勝利の前兆です。
 
(結論)もし、キリスト者に罪があるとすれば、それは「祈らない罪」です。祈らないことを懺悔(ざんげ)し、悔い改めたい。祈りのないところに、霊性の成長はありません。悪魔は、いつも祈りの時間を奪います。
決心して、祈りの時間を確保いたしましょう。