2019年4月16日火曜日

礼拝メッセージ  2019年 4月14
説教題 「心に十字架を」
聖 書 ヨハネによる福音書 第19章1420
序論) 今週は主が十字架につけられた週、受難週です。そしてこのヨハネ19章は、主の十字架のみ業を記録した章です。心を静め思いを聖別して、主が成し遂げてくださった救いの道に心を留めましょう。 総督ピラトはユダヤ人の敵意に太刀打ちできず、ついに主を十字架につけるべく引き渡しました。私たちはここに、人間の世の中には、正義を守る力がないことを、はっきり示されます。ピラトは、イエス様に罪を認めることが出来ないので、主を守ろうと努めたのですが守れなかったのです。
 
(本論) イエス様が十字架に渡された日は、過ぎ越しの前日でした。ピラトは早朝から裁判を行います。
 1. 人類の救い、裏切り、主の愛  イエス様は、私たちのために嘲りを黙々と受けられます。昼の12時頃、ピラトは嘲笑をこめて「さ、あなた方の王です」と言います。 ユダヤ人たちの前に立つイエス様の姿は悲惨なもので、人に敬い慕われるようなメシヤの姿ではありませんでした。(イザヤ53)。「カイザルの他には、私たちの王はありません」という叫びは、唯一の王である神様を拒み、ローマ皇帝に仕える者だと自任するものです。神の御子を拒むことは、神様を裏切ることです。このように、人類の救いは、裏切り者さえも赦された主の愛によって全うされます。
 2. ゴルゴダの十字架、神の最高の愛  十字架は、王の王であるイエス様の謙遜と従順のクライマックスです。人類を救うために、イエス様は「ご自分で十字架を負って」ゴルゴダに行かれ、十字架につけられ、「死さえまでも」父なる神様の御心に従われます。ピラトは罪状書きに、ヘブル語とラテン語、ギリシャ語で「ユダヤ人の王ナザレのイエス」と書いて、十字架の上に掲げます。ユダヤ人たちは、真の王であり大祭司であるイエス様を否定し、死に追いやりましたが、神様は、ローマ人やユダヤ人たちの言葉を通してイエス様が王であると宣言し続けられます。
 
(結論) ゴルゴダに立った十字架は、人類に対する神様の最高の愛です。その愛を受け入れる者は、だれでも、罪赦され救われます。 群衆の中にまぎれて「主を十字架につけろ」と叫んでいる者の一人が、自分ではないかと思わされます。かたくなな私を活かすために、十字架の恥と苦しみを受けてくださった主よ! 日々私自身を十字架につけ、自分の十字架を負って主に従うことが出来ますように。