2013年12月15日日曜日

礼拝メッセージ2013年12月15日

説教題   「小さき者に目を注ぐ神」

聖 書   ルカによる福音書 12638

(
序論)会堂の壁にエル・グレコの「受胎告知」の絵が掛けられています。この絵の主題は今朝の聖書「ルカによる福音書1:26-38」の物語です。マリヤは天使の声を聞きます。「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。(ルカ1:31,32

(
本論) ルターはこの時マリヤは16,17歳であったかもしれないと言います。少女の動揺は「どうしてそんなことがあり得ましょうか」の一言から伝わってきます。人は弱さの中で思案します。自分の常識を越えられず、「そんなことはない」と「我」を張ります。しかし、「我}を張った結果は、後悔と落ち込みにやり場のない自分を見出すことがしばしばです。神の恵みの事実が起こっているのに、信じ受け入れられず悩みます。神様は各自に思いがけない事實を経験させて、神が共に「居てくださる」ことを経験させてくださいます。マリヤも神様に揺さぶられながら神に従う者に変えられていきます。

(
結論) わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」。この服従がクリスマスの出来事の始まりでした。わたしの人生を神様が導き、整え、仕上げてくださることを信じて、どんな時も主を見上げることを努めましょう。私たちが神に近づく以上に、神様が人となって私たちに近づいてくださる、この驚くべき恵みによって人は生きることに感動するのです。一人の少女の神に対する忠実な信仰が、御子イエス・キリストのご降誕を実現しました。神の恵みは万民に与えられた福音(良き知らせ)です。わたしたちはその証人です。

2013年12月8日日曜日

礼拝メッセージ2013年12月8日

説教題   「望みがある」

聖 書   ルカによる福音書 第19110

(
序論)クリスマスの象徴は「光」です。歓喜の天使の歌声です。「秘密保護法」の強行採決、成立。どんな未来が待っているのでしょうか。神は「侮るなかれ」と私たちを戒めます。生ける神はご自身のなさりたいことを実行されると信じて祈りましょう。神よ、私たち一人ひとりをあなたのご用のために用いてください。この祈りの中から希望が与えられます。

(
本論)
 神はどんな者をも造り変え整えて、ご自身の業のために用いられます。ザアカイとイエス様の出会いの中で、主はご自分の使命を語られます。「人の子が来たのは、失われたものを尋ねだして救うためである」(ルカ19:10)「きょう救いがこの家に来た」(同9)彼は取税人と呼ばれるユダヤ人でした。ローマ帝国の支配下で税金の徴収を請け負い、私腹をこやしていたので、人々から嫌悪され、暗い生活の中で孤独でした。イエス様はこの取税人の頭ザアカイを一人の人間として扱い、自分の人生をやり直して生きよと、赦しと愛の中に引き入れてくださいました。これはまさに、私たち一人ひとりの信仰の経験ではないでしょうか。ザアカイの中に自分を発見します。


(
結論) キリスト者は、神様の恵みによって今の自分にされたことを感謝し、教会の兄弟姉妹との交わりの中に加えられている有難さを味わっています。神様はどのような過去をもっている者にも、イエス様を信じ従うことで新しい人生を与えてくださいます。そしてどんな中に置かれても、一隅を照らす灯火として、周りを励ます神の器にしてくださいます。イエス様から来る希望が、人々に優しく接する愛の行動をさせます。ザアカイもそのような生き方で主の道を完走したことでしょう。

2013年12月2日月曜日

礼拝メッセージ2013年12月1日

説教題   「真の光に照らされて」

聖 書   ヨハネによる福音書 第1913

(
序論)礼拝堂の中にキャンドルが一本灯っています。教会歴では今日からアドベントに入りました。アドベントは待降節と言われ、イエス様のご降誕を待ち望む期間です。救い主イエス様にお会いできる者に整えてくださいと祈る時でもあります。クリスマスは暗き夜にベツレヘムの馬小屋にお生まれくださったイエス・キリスト様をお祝いする時です。

(
本論) 主は暗きに輝く光として貧しい姿で私たちに近づいてくださいました。「全ての人を照らすまことの光」としてこの世に生まれてくださいました。その夜、ベツレヘムの馬小屋を最初に訪れたのは、野宿しながら羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。彼らは卑しい者と蔑視されていた者たちでした。神様はこれらの者に福音(良い知らせ)を伝えてくださいました。

 まことの光は第一に、今ある自分を素直に認め直す勇気を与えます。自分について嘆くなかれ、決して不幸の星のもとに生まれたのではないこと、みんな幸せに生きる権利を持っていることを気づかせ、神がインマヌエル(神が私たちと共にいます)であることを信じさせてくださいます。第二は、「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコによる福音書1:5)という神様の呼びかけに信仰の決断をさせていただけます。そして、少数の気骨あるクリスチャンは与えられた十字架を負いぬいて主の証人となりました。第三は、自分の人生に使命が与えられていることを信じ、精一杯輝いて生きる希望を持ち続けさせていただけます。

(
結論)
 真の光が差し込む時、喜びの人生が始まります。もう一度神様に愛され生かされていることに感謝しましょう。この幸い、この道を共に歩いてくださる方々が加えられる喜びを味わわせて頂きたいものです。すべてが主の栄光につながっていることを心に留めましょう。