2019年2月24日日曜日

礼拝メッセージ  2019年 2月24日
説教題   「私を尊い者にして下さる主」
聖 書   ヘブル人への手紙 第1章5~8,14節
(序論) ヘブル人への手紙は、ヘレニズム世界に散らされて住んでいた、ユダヤ人たちの中のクリスチャン宛に記された手紙で、パウロが書いたとも、パウロの影響を受けた弟子の一人が、書いたとも言われています。 神さまは人を愛され、人との交わりを求め人に語りかけられます。 旧約聖書時代は、預言者を通して語られましたが、この終わりの時には、御子イエス様によって私たちに語られました。
(本論) 1. み使いと神のみ子  旧約聖書に出て来る み使いは、人よりもすぐれているように見えます。そのため、初代教会には、み使いを誤解している信徒がたくさんいました。み使いを礼拝の対象と考えたり、イエス様が持っておられる「とりなし、と救いの力」がみ使いにもあると考えられていました。しかし、それは正しい理解ではありません。神様は、み使いたちに、とりなしの役割と統治する権威を委ねられたことはありません。み使いは、風や炎のように一時的で可変的な存在ですが(7節)、神の御子イエス様の御座は永遠に続きます(8節)。 み使いは、神様に仕える存在として造られ、御子イエス様を拝する存在です。御子とみ使いには、違いがあります。 神秘的に感じられる天井の存在を正しく理解する必要があります。
 2. み使いを遣わされた神  イエス様がどんな方、存在か、旧約聖書の至る所に啓示されています。 イエスは神の御子(詩27)、 永遠に統治される方(456,7)、永遠に存在される方(詩10225~)、 特に「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい」(13節)、と言うみ言葉は、新約聖書で最も多く引用されている詩篇の言葉(詩1101)で、イエス様の尊い地位と統治を示しています。
 一方、み使いは、みな仕える霊であり(詩1044)、救われた人々に、仕えるために遣わされます。私たちは、み使いもうらやむ、素晴らしい救いの恵みに預かりました。 ですから、私たちに与えられた神様の御心を知り、その召しに従わなければなりません。
(結論) み使いの最高の栄誉は、神様と神の子どもに仕えることです。み使いは神さまが「仕える霊」として造られた存在です。 創造主でありメシヤであるイエス様と比べることが出来ません。神様は、ご自分の子どもを助け、仕えさせるためにみ使いたちを遣わしてくださいます。 私たちは、イエス・キリストを通して神様の子となることによって、神様が相続者に与えられる尊い特権を受けました。

2019年2月18日月曜日

礼拝メッセージ  2019年 2月17日
説教題   「主のみ名を呼び求める者」
聖 書   ローマ人への手紙 第10章11~13
(序論) 今日の聖書の言葉「すべて彼を信じる者は、失望に終わることがない」というみ言葉は、厳粛なほど真実です。 見えないけどこの世に実在する多くのもの、出来事があります。 み言葉を通して、霊的に感じて、否定しようがない神様のご支配を信じて生きる者にとって、神様の約束は心強く人生の大きな支えになります。
 
(本論) 1. 信じる者は、失望に終わらない  み言葉は語ります。「主イエス様を信じる者は、決して自分の人生が、失望に終わる、ということはありえない」と約束しています。 神様は、良い者にも、悪い者にも、同じく雨を降らせてくださるように、決して人々を差別なさらない方です。 「主のみ名を呼び求める者は、救われる」という約束には例外はありません。 あの十字架の強盗でさえ、死の間際で、主の名を呼んだ時に主は「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と言われ、救いがあざやかに彼の上に来ました。 主を信じることの尊さ、主のみ名を呼び求めることの確かさ、真実の世界は今も消え去っていません。 それゆえ、私たちは、ますます「信じるということと、主のみ名を呼び求めるということ」に真剣でありたいものです。 神さまは、私たちに「失望に終わることのない」確信と、「救われる」という保証を、信仰のゆえに握らせて下さっています。
 2. 信仰は聞く、聞くことはキリストの言葉  17節に「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉からくるのである」とあります。 私たちはよく自分の不信仰が、悲しくなります。どうしたら立派な信仰が持てるのでしょうか。 ここに答えがあります。 日々、「み言葉に聞く」ことをお勧めいたします。 「1 日練習しなければ自分に分かる。 2日練習しなければ批評家に分かる。 3日練習しなければ聴衆に分かる」フランスのピアニストの名言があります。 私たちも、聖書のみ言葉を聞かなければ不信仰になるのは当然です。 日ごとに、み言葉を開き神様のみ旨を、心に受けることです。
 
(結論) 信仰をもって、主イエス様を信じる人生は、人生が失望に終わりません。
「み名を呼び求める者は、すべて救われる」との、聖書の約束があるからです。信仰が深められるために、日ごとにみ言葉に聞き、週ごとに礼拝し語られる聖書の解き明かしに心の耳を傾け、主の臨在と主の招きたもう礼拝を、犠牲をもってささげましょう。

2019年2月12日火曜日

礼拝メッセージ  2019年 2月10日
説教題   習慣が変われば人生が変わる
聖 書   マルコによる福音書 第1章35~374044
(序論) イエス様は、朝早く寂しい所へ行って祈り、ガリラヤ全地の会堂で福音を宣べ伝え悪霊を追い出し病人を癒されました。イエス様が、らい病に冒された人を癒し、からだを祭司に見せ、神にきよめの供え物をするようにと言われましたが、癒された彼が、その出来事を言い広めたので、イエス様は表立って町の中に入ることが出来なくなりました。
 
(本論) 1.祈りと使命に集中された主イエス  多くの病人を癒されたイエス様は、朝早く起きて寂しい所に行かれました。 いつも忙しく過ごされていましたが、神様と交わる時間を何よりも大切にされたのです。 イエス様が神の御子であることは、癒しと奇跡を行う姿だけでなく、父なる神様と親しく交わる時間を、すべてのことを後回しにしても持たれた姿にも現れています。 ペテロたちが、イエス様を人々が捜していると言って興奮しても、人気に執着せず、福音を知らせるために別の地域に移動されました。 イエス様のように、いつも祈りを通して神様と個人的に交わるとき、神様の使命と人生の目的を忘れず、この世に揺るがされることなく与えられた道を歩むことが出来ます。私たちが最優先すべきことは、神様と交わる時間です。
 
 2.らい患者の信仰と主のあわれみ  律法で汚れていると規定されていたらい患者は、人々と接触できないよう隔離されていました。 ところが一人のらい患者が、イエス様のところにやって来て、ひざまずき癒しを願い求めました。これはイエス様が自分を癒す力をお持ちと言う信仰から生じた行動です。 主は彼をあわれみ、手を伸ばして触れられました。病人の信仰と主のあわれみにより、驚くべき癒しが起こりました。
 当時は、らいが癒されたことを祭司に見せて判定を受けてはじめて、社会復帰することが出来ました。主の癒しは、社会性の回復、人間らしい生活の回復をもたらします。主にいやしを求めたらい患者の心と信仰から、私たちはどんな心と態度で主の前に出ているか考えさせられます。
 
(結論) イエス様は、教え、いやし、宣教と公的な働きが多い中でも、時間を割いて神様の恵みの御座に出て、ひざまずいて祈られました。私たちがまず最優先すべきことは、主と過ごす時間を尊く思い守ることです。主のみ前に謙遜と信仰と希望をもって祈る者とさせていただきましょう。

2019年2月3日日曜日

礼拝メッセージ  2019年 2月 3日
説教題   「誠実な人・神様の祝福」
聖 書    詩篇 26篇 1~3節
(序論) 神様に用いられる人は、誠実な人です。状況によって態度が変わらず、打算によって人に接したりせず、与えられた仕事を最後までやり遂げる人です。そのような人を神様は愛し、神の国のために用いられます。 イエス様は、ご自分に与えられた使命に忠実でした。この地に来られた目的を見失わず、やるべきことを遅らせたりなさいませんでした。誠実なイエス様を通して、私たちは誠実な神様に出会うことができます。
 
(本論) 朝が来て夕方が来る日常も、誠実な神様の御手がなければ続きません。春が来れば次に夏が来て、秋が過ぎれば冬が来ます。長い冬の寒さも、春が来れば自然に去ります。神様は天と地を創造された後、一度も季節の変化を変えられたことがありません。私たちを愛される神様は、誠実な方です。 哀歌32223「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」とあります。
 1. 誠実は小さなことに忠実です。 イエス様も小さなものに忠実な人に、多くのものを任せる、たとえをされました。(マタイ251423)。 頂上に一気に到達できる人はいません。ヤコブが夢で見た御使いも、はしごを一段一段、上り下りしていました。 目に見えない所で忠実に働き、目立たない部分まで最善を尽くすことが、真の誠実です。
 人は、蒔いたとおり刈り取ります。農作業は正直です。春に種を蒔かなくては、秋の収穫はありません。小さなことに忠実でなければ、大きなことは出来ません。
 2. 神様は誠実な人を喜ばれます。 神様の選びの基準は、私たちの背景や才能でなく、誠実さです。カナンの地を偵察したカレブとヨシュアが、神様を信じる信仰によって堂々としていたように、信仰の目で判断し、ご自分に信頼する人を神様は喜ばれます。誠実な人は勇敢で、責任感があり、堂々としています。
 3. 誠実な人は祝福を味わう人生を生きます。 誠実な人は、神様と人に認められます。ダビデの誠実な姿を見て、ご自分の民を治める王とされました。誠実な態度と品性は、祝福の始まりです。
 
(結論) 誠実は、尊い品性です。神様は誠実な人を通してみわざをなさいます。目につく才能や賜物はなかったとしても誠実な人は尊敬され、神様に用いられます。小さなことに忠実で約束を守る人を神様は探しておられます。