2016年3月27日日曜日

礼拝メッセージ  2016年 3月 27
説教題  「実にイエスは甦られた」
聖  書  マタイによる福音書 第28章6ー10節
説  教  今日は、イエス様の復活を記念する特別な聖日です。教会学校の生徒と一緒に、ナザレンファミリーが心を一つにして生ける主を礼拝します。まことに主はよみがえられた。この信仰が、すべての人々に希望を与えます。時には殺人鬼となる人間の狂気を見せられる今日の世相においてもなお、神様は愛を持って一人ひとりを求めておられます。神様は、御子の十字架と復活を通して、「恐れるな、私を信じて新しい自分となれ、生きなさい」と語らっておられます。
 神の優しい眼差しを感じることから生きる意味が見出されるのです。復活のイエス様は、ガリラヤで私たちに会うと言われます。主の弟子たち12人のうち、イスカリオテのユダ以外の11人はガリラヤの出身です。その意味は、ふるさとへ帰ろうという呼びかけではないでしょうか。あなたのふるさとガリラヤは教会そのものです。教会をお互いのふるさとにいたしましょう。

2016年3月20日日曜日

礼拝メッセージ  2016年 3月 20
説教題  「摂理に生きる」
聖  書  創世記 第39章1ー4節
説  教  レントの最後の一週間にはいります。棕櫚の聖日から受難の具体的な日々が聖書に記録されています。日曜日ー棕櫚の聖日、月曜日ー宮清め、火曜日ー説教と論争、水曜日ーベタニヤでの出来事、木曜日ー最後の晩餐、金曜日ー十字架、土曜日ー墓の中、日曜日ー復活。この日々の出来事が私たちの信仰を養い育てます。主の贖いの業は、信仰の力と人の生きる方向を示してくださいます。
 私たちは運命論者ではありません。神は常に私たちを良き結果に向けて導く摂理の信仰に立たせてくださいます。ヨセフの生涯は波乱に満ちた生涯でした。すべてを神に任せて生きる者の幸いを教えてくれます。彼は神の側に立って人間を見、世界を視野に入れています。主は、ヨセフの故にエジプト人の家を恵まれたのです。ヨセフの生きざまは、異教社会の中で生きるキリスト者の悩みを通して、神が摂理の内に私たちを用いるべく気づかって下さるということを教えてくれます。私たちもヨセフのように、キリストに在る勝利者にならせていただきましょう。

2016年3月13日日曜日

礼拝メッセージ  2016年 3月 13
説教題  「十字架の上で祈るイエス様」
聖  書  ルカによる福音書 第23章39ー43節
説  教  教会のシンボルは十字架です。十字架は処刑の道具です。イエス・キリストは、人々の怒号の中でのポンテオ・ピラトの命令により、ゴルゴダーサレコウベで、このむごたらしい方法で地上の生活を閉じました。
 聖書は、淡々とあるがままの描写でこの事実を伝えます。恥辱と嫌悪を意味する十字架です。しかし、神様はこの十字架と用いいて、人を神と和解させ、新しいいのちを与え、信じる者の誇りとして下さいました。イエスの罪状書きには、「この者はユダヤの王」と書かれていました。人々のあざけりの言葉です。しかし、この言葉は信じる者の証しによって、「キリストこそ人の望みの喜び」となりました。
 「黙するな、語り続けよ。恐れるな、小さき者よ」と、天から声を聞かされたのです。この主の言葉は、自ら味わった痛みと悲しみの中から、「父よ、彼らを赦し給え」と祈られたお方の言葉です。あの十字架の上で、「イエスよ、わたしを覚えておいてください」と悔い改めた罪人に、「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と慰めと癒しの宣言をされた主の生きざまに、私たちも生涯をかけていきましょう。

2016年3月6日日曜日

礼拝メッセージ  2016年 3月 6
説教題  「恐れるな、わたしはあなたを覚えている」
聖  書  イザヤ書 第49章14ー18節
説  教  私たちは真実な神の愛のもとに養い育てられます。寒い冬から春の到来のこの時期、新しい年度への備えをいたしましょう。正直に自分と向き合い、神について、人間関係について、静かな黙想の時を持ちましょう。そして、神様の「恐れるな」という語りかけを聞くことができる人は幸いです。天災や人災、病気、貧しさ、等など、途方にくれ悲鳴を上げたくなるような現実の中で、神様は必ず良き結果に向かって私を導いてくださる、という信仰によって、本当の強さを持つ者にならせていただくのです。わたしは神と人に忘れられていると思えるような寂しさの中でも、神様は一人ひとりを気にかけ語りかけてくださいます。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻み付ける」(イザヤ書49:16)。御子イエス・キリストが贖いの十字架の上で、わたしのことを覚えていてくださっていることを常に覚えていましょう。あるクリスチャンは癒されぬ病の中、「誰にも気づかわれない自分」という思いから、「一人ではない、救い主イエス様が私と共にいてくださる」という信仰に導かれる時、新しい生きることへの勇気が与えられ、神様を讃美する生き方へと変えられました。私たちも恐れず神様のふところへ飛び込んでいきましょう。

2016年3月1日火曜日

礼拝メッセージ  2016年 2月 28
説教題  「誇りうる奉仕者」
聖  書  ローマ人への手紙 第15章17ー21節
説  教  昔も今も教会の存続の力は、イエス・キリストの十字架の贖いによる救いの恵みにあずかった人々によって、その原点を失いませんでした。お互いが教会の肢体となって組み合わされ、生ける共同体として神に用いられました。この愛の関わりが、外に向かって積極的に伝道という活動に結ばれていきました。ここに主の証人の原点があります。
 彼らは、神様を第一として主を喜ばせる生活に、生きる喜びを発見していました。イエス様の祭司としての祈りが、私たちを立ち上がらせてくださる力であり、今もキリスト者の喜びの原点です。御子の憐れみの愛の行動が、私たちを世の光、地の塩としての務めを果たせる者に育てて下さったのです。
 主の奉仕者は、慎みと謙遜をもって、水をくむしもべが自分の役割として、神と人に仕えます。主に捧げる奉仕は、微笑みをもって御言葉の運び手とならせていただくことです。主にある自信と誇りをもって、この時代を福音を宣べ伝える奉仕者として生きていきましょう。