礼拝メッセージ 2018年 3月 25日
説教題 「十字架から天の国へ」
聖 書 ルカによる福音書 第23章39〜43節
(序論)イエス・キリストが十字架につけられた時、ゴルゴダの丘には、三本の十字架が立てられました。真ん中にはイエス様、そして他の二つには、強盗を働いた極悪人がつけられていました。強盗の二人とも、最初はイエス様をののしっていました。ところが片方の強盗は、イエス様を神の子と信じ悔い改めました。何が、彼をそこに導いたのでしょうか。
(本論)それは、裁判官ピラトの前からゴルゴダの丘まで、イエス様のそば近く共に歩き、イエス様の言動をつぶさに見聞きして、その心に深い感動を覚えたからでしょう。その強盗が悔い改めた時「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスいるであろう」という言葉が語られました。何という祝福に満ちた約束でしょうか。
このみ言葉の中に、永遠に変わらない三つの事実を見ます。
第一に、どんな極悪非道の悪人でも、心から自分の罪を悔い改めてイエス様のみ名を呼ぶなら、確かに救われるという事実です。不法と失敗の人生を繰り返してきた強盗にとっては、天国の望みは毛頭もなかったでしょう。だから彼は、「国へ行きたい」と言わず、「ただ、私を思い出してください」と言っただけでした。
第二は、信じた今、確実に天国にいるということです。彼は、再臨の時を望んで恵みを求めました。しかし、イエス様の答えは「今日」でした。天国に入れるのは遠い将来のことと考えがちですが、信じた今、です。それが私たちに与えられた約束です。
第三に、臨終の間ぎわでも救われるという事実です。この強盗は、肉体の苦痛と迫りくる死の中で、悔い改めて救われました。この事実は、死の床にいる全ての人に希望を与えます。
(結論)「私の一生は、あまりにも汚れています。私は、年を取りすぎています」などという必要はありません。あの強盗のように、自分の罪を素直に認めて、「イエス・キリストの十字架は、私の身代わり」と信じ、謙虚に主の名を呼んでみてください。イエス様は、あなたにも今日、同じ約束のみ言葉を語ってくださいます。「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる」。