説教題 「その名はインマヌアル、神われらと共にいます」
聖 書 マタイによる福音書 第1章18〜24節
(序論) 私たちはイエス・キリストを通して神に出会い、人生の意味を見出します。イスラエルの民は「インマヌエル(神われらと共にいます)」との予言(イザヤ書7章14節)の成就を切に祈り求めていました。この予言の成就がクリスマスです。
聖 書 マタイによる福音書 第1章18〜24節
(序論) 私たちはイエス・キリストを通して神に出会い、人生の意味を見出します。イスラエルの民は「インマヌエル(神われらと共にいます)」との予言(イザヤ書7章14節)の成就を切に祈り求めていました。この予言の成就がクリスマスです。
(本論) 人となられたイエス・キリストによって、救いの経験に導かれます。このお方が「神われらと共にます」ことを私たちに味あわせてくださるのです。神さまの一方的な愛がイエス・キリストをインマヌエルとして私たちの中に降誕させてくださいました。このお方を見上げる時、「み子によってこの世は救われる」という希望をもたされます。(ヨハネによる福音書3章17節)私たちは常に「われらと共にいます」神と共に人生の旅路を歩く者とされているからです。このお方はどんな時も、どんな境遇の変化にも、信ずる者の味方として、勝利を目当てに感謝と喜び、そして望みの祈りで締めくくる人生を選び取らせていただけます。インマヌエルの神は祝福を約束し、同時に苦しみをも共 に背負って下さるお方です。
(結論) 「わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました」 (詩篇18篇6節)。信仰者は奈落の渦の中で、インマヌエルの神様に叫び求めます。「彼は私を愛し離れないゆえにわたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたさいは彼を守る」(詩篇91篇14節)この約束を信じて生きるのがクリスチャンです。どんな時も私たちのそばにおられる神は、私たちを裏切らず、み言葉の約束通り一人ひとりの具体的な生活の中で、ご自身の愛をお示しくださいます。これがキリスト者に与えられている恵みです。