礼拝メッセージ 2016年 9月 18日
説教題 「失望させない神」
聖 書 創世記 21章1〜3節
(序論)伝道書の3章1節に「天の下では、何事も定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」とあるように、神様は時を持っておられます。ゆえに、私たちには神様の時を待つ心の用意が必要です。
(本論)「来年の春、わたしは必ずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生まれているでしょう」(創世記18:10)
もしアブラハムが、ハランで約束された子を、自分の胸に抱くまでに25年間待たなければならないことを聞いたならば、大きく失望したに違いありません。私たちも長い時間待つのが苦手です。だから恵み深い神様は、アブラハムに、長い年月は隠されていました。その年月が経過し、あと数か月という時になって「来年の春(神の定めの時)に、サラには男の子が生まれているでしょう。」と神は語られました。
定められた時は、ついに来ました。笑いが家庭に満ち、老夫婦は、長かった待望の時を忘れました。「待ち望む者よ。心強くあれ。あなたは、あなたを失望させない神を待っているのです。神は定まった時を、たとえ五分であっても遅らせることはなさらない。間もなく、あなたの悲しみは歓喜へと変わる」(荒野の泉・カウマン夫人)
(結論)「ローマは一日にして成らず」大きな仕事は、一日では成されない。神様は、一瞬にして美しい日没の風景はあえて作られません。待ち望む時間も大切です。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を思う心を与えられた。しかし、神のなさる業を初めから終わりまで、見極めることは許されていない。」(伝道書3:11)