2019年5月21日火曜日

礼拝メッセージ  2019年 5月19日
説教題 「勇敢であれ、勝利の主」
聖 書 ヨハネによる福音書 第16章33節
主イエス様は「あなたがたは、この世では苦難(なやみ)がある」と言われます。 私たちすべての苦難、悩み、苦しみ、病、死をイエス様はことごとく知っておられます。 主イエス様は人となられて自らも同じような、もっと辛い経験をされました。「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同じように試練に遭われたのです」(ヘブル4:14-15)とある通りです。
 イエス様は私たちに「しかし、勇気を出しなさい」と言われます。 主は私たちと共に忍び、耐え、悩み、苦しみ、私たちの背負う重荷を共に負ってくださいます。 
 弟子たちは、イエス様の言葉によって、どのような状況に直面しても、心に平和が与えられ、勇気を出すことが出来る者とされます。 主の受難も十字架も、栄光への道であり、イエス様の天への帰還は、勝利への凱旋でした。 そのことを確信して弟子たちは、私たちは、イエス様と同様、雄々しく生きることが出来るのです。
 この勝利者イエスを信じる事によって、イエス様の勝利が今も生きて、世に勝たれた主として私たちと共に歩んでくださいます。 このキリストと共にある生活、キリストに支えられる生活、キリストと共にいることを目指す生活こそが、私たちを支え、力づけ、世に勝つ道なのです。
 
「世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です。だれが世に打ち勝つか、
それはイエスが神の子と信じる者ではないか。」 (ヨハネ第一5:4-5

2019年5月18日土曜日

礼拝メッセージ  2019年 5月12日
説教題 「揺るがないクリスチャン」
聖 書 コロサイ人への手紙 第2章6~12節
私たちを責め立てる債務証書の無効
▼私たちは、イエス様から離れては、決して神様を知ることが出来ません。イエス様の内にこそ、神様の満ち満ちたご性質がかたちをとって宿っているからです。
 私たちは、バプテスマによってイエス様と共に葬られ、肉のからだ、すなわち罪深い古い人を脱ぎ捨て、イエス様と共に甦らされました。これによって神様は私たちの全ての罪を赦してくださいました。 そればかりか、私たちの罪状が記された「債務証書」を十字架に釘づけにして無効にしてくださいました。十字架の力によって悪の勢力は無効になり、私たちは二度と罪に定められることはありません。(ローマ81
 イエス様のうちにある者は、すべて新しい被造物です。主イエス様と一つになった私たちは、勝利の人生を歩むことが出来ます。
 主イエス様のうちに根を深く下ろし、信仰の道をしっかりと歩ませてください。 世の流れに流されないように主に捕えられ、霊的に目覚めて偽りを見分けることができますように。
礼拝メッセージ  2019年 5月5日
説教題 「弱いと強い」
聖 書 ペテロ第一の手紙 第1章1~7節
▼(序論) この手紙は、主の一番弟子、使徒ペテロから教会初期の迫害(使徒8章)のために小アジアの各地に散って寄留している、キリスト者たちに宛てられた手紙と思われます。 当時、まさに到来しようとしていた火のようなネロ皇帝の大迫害を前に、彼らの信仰を堅固にし、励まし慰めるために記されたものです。
 
▼(本論) ローマ帝国の迫害をうけていた時、教会はローマをバビロンと呼びました
513節)。 2節でペテロは、キリスト者を神に選ばれた人々と呼んでいます。
 1. 父なる神様に選ばれた私  父なる神様に認められ、聖霊様により、きよめられて、み子イエス・キリスト様に従い、かつその血の注ぎかけを受けるように選ばれている、と言っています。 三位一体の神様、すなわち父なる神様の予知と選び、キリストのあがない(血のそそぎ)、そして、聖霊(御霊のきよめ)です。 私たちの救いは、父なる神様の選びによって始まり、キリストの血によってあがなわれ、聖霊の聖潔(きよめ)によって完成されました。 この神様の働きによって(新たに生れさせ)られた(3節)だけでなく、(生ける望みを)いだかせてくださいました。 すなわち、キリストの復活により私たちも必ずよみがえる。これは、私たちの生活を活気づけ、いのちあるものとするので、(生ける望み)と言われます。世の人の望みは、物質か境遇によるもので「死んだ望み」であるが、私たちの望みは「生ける望み」です、とペテロは語ります。
 
 2. 弱いからこそ強い  パウロも第2コリント12章で「わたしの力は、弱いところに完全にあらわれる。だから、キリストの力が宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇る。私が弱い時にこそ、私は強い」と語りました。 ペテロは、イエス様を三度「知らない」と言ってしまった、痛烈な失敗から立ち直らせて頂いた経験から、ネロ皇帝の大迫害から、ローマから逃れ都落ちし、落ち込んでいるキリスト者を力づけ慰めたかったのでした。 ルカ2232節「シモン、シモン、私はあなたの信仰がなくならないように祈った。あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」との主の言葉が頭から離れず、ローマから逃れたキリスト者たちを励まさずには、おれなかったのでしょう。
 
▼(結論) 私も体調を崩し、力のなさ奉仕への障害を感じ落胆しました。その時、今日のみ言葉により、弱いときにこそ強いこと、自分が弱い時にこそ、主が働かれることを感じました。 だから、弱さを受け入れ誇り、主により頼みます。