2018年8月24日金曜日

礼拝メッセージ  2018年 8月 19日 
説教題  「絶望の時、希望のみことば」 
聖  書  使徒行伝 第27章13〜26節
(序論) パウロたちが乗っていた船が、暴風に巻き込まれます。幾日も激しい暴風に翻弄され、助かる望みが絶たれようとしている状況で、パウロは、前日の夜に神様の御使いが現れ、自分をカイザルの前に立たせるために、同船している人々をみな、主が彼にお与えになった、と言われたことを伝え、彼らを励まします。
(本論) 1 ) 人間は無力な存在  穏やかな南風が吹いて来たので、百人隊長と船長は、自分たちが決定が正しかったと思いましたが、すぐにユーラクロンという暴風が吹き下ろして来て、危機的な状況になりました。しかも何日も続き、助かる望みすらなくなりました。 そこでパウロは、自分の勧めが正しかったことを伝え、神様の言葉の権威と霊的威厳を回復しました。 人生は、航海にたとえられます。
私達の人生の船も、暴風のような苦難に襲われることがあります。 クリスチャンは、暴風の中で絶望する人々を救いに導く使命が与えられています。
 2 ) 失望に打ち勝つ秘訣  絶望に勝利するためには、望みのみ言葉のを堅く信じることです。神様は、パウロを通して、望みが消えた絶望の場所に、希望の言葉をかけられました。み使いを通して、パウロにローマ行きのビジョンを再確認させ、一緒に航海する人々の安全を、パウロに委ねられました。パウロは、全員が失望している時、希望のみ言葉によって慰め、励ましました。 誰も希望を見いだせない時も、パウロは、「私に告げられた通りになると、私は、神によって信じています」25節と言い、自分の確固たる信仰を伝えました。 暗い現実ではなく、主の約束に目を向けることが、真の信仰であり、信仰によって周りの人を励ますことができます。
(結論) パウロの言葉は、「元気を出しなさい」という言葉で始まり、「元気を出しなさい」という言葉で終わっています。嵐の中で元気を出すことができるのは、神様の救いの約束のゆえです。人生という航海の中で暴風や難破の危機に直面するとき、神様を仰ぎ御声を聞くなら、最悪の状況でも私たちに、希望が与えられます。

2018年8月17日金曜日

礼拝メッセージ  2018年 8月 12日 
説教題  「真理の言葉を伝えたパウロ」 
聖  書  使徒行伝 第26章24~32節
(序論) フェスト総督は、パウロに「おまえは気が狂っている。博学が、おまえを狂わせている」と言います。パウロは、「私はまじめな真理を話している」と言います。フェストが、パウロに「わずかな言葉で、自分をキリスト者にしようとしている」と言うと、パウロは、皆が自分のようになってくれることを私は願う、と答えます。そして、彼は、パウロがカイザルに上訴しなければ釈放されたであろう、と言いました。
 
(本論) 1 ) パウロの願い  パウロが主に出会った神秘的な体験と、死者の復活のことを話すと、フェスト総督は、パウロに「気が狂っている」と言いました。しかし、パウロは、真理の言葉を話したのです。 世の人々は、尊いものを手に入れると、自分だけでそれを楽しもうと隠しておきます。しかし、クリスチャンは、そうではありません。 何ものとも比べられない、尊い宝であるイエス・キリストを知ったなら喜びがあふれ出て、他の人々に伝えたくなります。パウロは、福音を聞く全ての人が、自分のようになることを神様に願う、と言いました。
 パウロのように、あなたは周囲の人に、自分のようなクリスチャンになるよう、自信を持って勧めることが出来ますか。そうできないなら、それはなぜですか。
2 ) 神様のご計画と人の思い  神様の思いと人の思いとは、異なることが多いものです。パウロを尋問したアグリッパ王とフェスト総督は、パウロに罪がないと判断し、彼がカイザルに上訴したためにローマに、呼び出されることになったことを不びんに思いました。しかし、神様のご計画は、パウロがローマでも福音を証しする事でした。(23:11) パウロも、神様の御心を知っていたので、自分がローマ市民であることを主張して、カイザルに上訴したのでした。パウロは、自ら進んで投獄される道を選びました。     
 
(結論) 全ての人々が救われることを願っておられる神様は、パウロのように、どんな状況でも、福音を伝えようとする情熱を、与えてくださいます。人々から、変な人だ、と、後ろ指をさされても、クリスチャンになることこそ、最も尊く、幸いなことであると、堂々と伝えることが出来ますように、主よ、私を助けてください。

2018年8月6日月曜日

礼拝メッセージ  2018年月 5日 
説教題  「使命を受けたパウロ」 
聖  書  使徒行伝 第22章6〜11節
(序論)パウロは、クリスチャンを縛り上げて処罰するためにダマスコへ向かう途中、まばゆい光の中でイエス様の御声を聞きました。そして、目が見えない状態で手を引かれてダマスコに入りました。 12節~パウロは、アナニヤの言葉どおり再び見えるようになり、神様が自分をイエス様の証人として選ばれたことを知り、バプテスマを受けました。その後、パウロがエルサレムで祈っていると、主が現れて、急いでそこを離れるよう、また、彼を異邦人に遣わすと告げられました。
(本論) 1、 熱心さより方向性  バプテスマを受けたパウロは、信仰の証しを始めました。 この時、ギリシャ語ではなくヘブル語を用いて民族意識に訴え、自分がガマリエルのもとで学んで律法に精通した者であることを強調しました。これはユダヤ人の心を開くためです。
私たちの出身や背景は、自分を誇るためではなく、福音を伝えるために用いるべきです。神と律法に非常に熱心だったパウロは、キリストに従う人々を率先して迫害しました。熱心さよりも重要なのは方向性です。私たちは神様が喜ばれることに熱心にならなければなりません。
2、 主からの使命  17節~21節、神様は、ご自分に向かって熱心に祈る人に、喜んで御心を告げてくださいます。パウロが宮で祈っていると、主が現れ彼が行うべきことを細やかに告げられました。 主は、ユダヤ人達はパウロの言葉を受け入れないので、急いでエルサレムを離れるように命じ、異邦人に遣わす、と告げられました。 主のご計画は、いつでも私たちの計画より高く、偉大です。主のしもべは、自分の考えを明け渡し、主が命じられる所に行き、主が命じられることを行う人です。    
(結論) 祈り…日々、主のみ言葉に耳を傾け、ひざまずいて祈ります。 どこへ行って何をすべきか示してください。 そして、目的もなくさまよう人々が、主の御心を知るよう助けることが出来ますように。 主からの使命に歩み、イエス様の証人として生かさせてください。