礼拝メッセージ 2014年 6月29日
説教題 「生きる力」
聖 書 マタイによる福音書 第4章1〜4節
(序論) 梅雨が過ぎると夏の日差しにうんざりしつつも、自然の営みの不思議さに感動します。育ちゆくものの変化の中で、神様は確かにおられると気づかされます。私たちは全てのことを通過点として良き結果に向かって導かれていることを信じましょう。キリスト者にとっては、神は善意をもって私たちをいこいのみぎわに導いてくださるという信仰が大事なのだと教会は語り続けてきました。
聖 書 マタイによる福音書 第4章1〜4節
(序論) 梅雨が過ぎると夏の日差しにうんざりしつつも、自然の営みの不思議さに感動します。育ちゆくものの変化の中で、神様は確かにおられると気づかされます。私たちは全てのことを通過点として良き結果に向かって導かれていることを信じましょう。キリスト者にとっては、神は善意をもって私たちをいこいのみぎわに導いてくださるという信仰が大事なのだと教会は語り続けてきました。
(本論) 「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」(ヨハネの第一の手紙4章9節)礼拝の交読文を心にとめて味わいましょう。このことを信じる時、人間嫌いにならず、人に寄り添いつつ、生かされていくことに感謝ができます。私たちは、神の大きな愛の中に覚えられつつ、神と人のために良き者として働かせていただくのです。私たちの務めは御旨に従い、地の塩、世の光として生きていくことです。自分を神の手の中の宝として大事に生きましょう。そして、隣人を大事にし、出会いの不思議さを覚えておかげ様の関係を継続していきましょう。良い関係の継続は許しと支え合 いと祈りが必要です。
(結論) クリスチャンにとって生きているとは、肉体だけでなく神との関係において、信仰により愛の絆によって生かされていることをも意味します。御言葉に養われる命がここで注目されます。私たちは御言葉によって愛の人に変えられ、感謝と喜びをもってこの世に出かけていくことができるのです。