礼拝メッセージ 2019年 7月21日
説教題 「彼はいま、祈っている」
聖 書 使徒行伝 第9章10~15節
今日の使徒行伝第9章は、教会を迫害していたサウロに主から声をかけられ、主の弟子と選ばれた記録が記されています。(1~9節)
そして復活の主が、ダマスコにおいてアナニヤに語られたお言葉が10節以降です。「彼はいま、祈っている」なんと厳粛な言葉でしょうか。主はすべてをご存じです。いま主は、迫害者サウロの中に伝道者パウロを、見られたのでした。それは、パウロが主のみ前に、心砕かれて祈る姿を見られたのです。
人間には、人々は誰も、想像も出来ないことでした。しかし、主は祈るパウロをご存じでした。
「彼はいま、祈っている」、これは、初代教会へ、パウロを推薦された主キリストのお言葉です。
第一に、主に救われるということは、主の器とされることである、という事実です。主はサウロをご自身のために用いようとして救われたのです。聖書の示す人間の栄光は、主の信任を受け主のみ心を行うことです。芸術や学問、教育や事業、病人や家族に生涯を捧げることを尊いとするのが人間です。であるならば、神様に生涯を捧げる光栄がキリスト者は判っていい筈です。
第二に、主に使命に生きる人生は、迫害に直面するということです。サウロは主のために働き出すとすぐ迫害され、教会の人々からも、すんなりとは受け入れてもらえませんでした。加害者サウロが今度は被害者の側に立つようになりました。主キリストを憎んでいた者が、主キリスト様と同じ立場に立ったのです。ルカは、このことを「教会の前進」と言いました。教会の前進とは、主のしもべが生まれることです。
次に使徒行伝第12章4-5節には、み使いのペテロ救出とヘロデ王が神に栄光を帰さなかったために虫に嚙まれて死んだことが記されています。「教会では熱心な祈りがささげられた」と、初代教会は「祈祷と宣教」の歴史です。一夜明ければヘロデに殺されるペテロのために、教会は夜を徹して男も女も老いも若きも心を一つにしてとりなしの祈りをしました。ペテロが神の栄光を表して殉教出来るように、と。 しかし、主は人々の祈りにペテロの救出という奇跡をもって答えられました。主は私たちの願いをはるかに超える答えをくださいます。主に祈る時、すべてを主に委ね、大きなことを期待して祈りましょう。