礼拝メッセージ 2017年 5月 21日
説教題 「祝福の始まり」
聖 書 ルツ記 1章15〜18節
(序論)ききんのためにユダのベツレヘムを離れ、モアブにとどまっていたナオミは、夫と二人の息子を失います。主がご自分の民にパンを下さったと聞き、ユダの地に戻ろうとしたナオミは、ふたりの嫁に実家に帰るように言います。ふたりの嫁のうちオルパはモアブの実家に帰り、ルツはナオミについて行きます。
(本論)エリメレクの家庭は、ベツレヘムにききんが来て生活が苦しくなると、約束の地カナンを離れ、異邦の地モアブに移住します。しかし神様は、彼らがカナンを離れることを喜ばれませんでした。それは、神様から与えられた相続地を守らなければならないという命令に反することだったからです。このような不信仰な態度のゆえに、彼らの家族は大変な苦しみに会います。
1.信仰の道を選ぶ時、永遠の祝福が臨みます。(16~17節)ルツは、何の希望もないように見える しゅうとめ について行くという選択をします。ルツのこの決断は、単なる孝行心ではなく、神様への信仰告白であり、全き献身の現れです。自分の幸せよりも、しゅうとめについて行くことを選んだルツの決断は、愚かなように見えましたが、後にダビデとイエス様の先祖となるという、素晴らしい恵みの始まりとなりました。
2.自分の弱さを告白するとき、回復の恵みが臨みます。(19~21節)有力な出であったナオミがベツレヘムに帰ると、町の女たちは「これはナオミですか」と言います。これはナオミの境遇に対しての同情と嘲弄(ちょうろう)の混じった表現です。
ナオミ「楽しみ」と呼ばずマラ「苦しみ」と呼んで下さい。と自分の過ちと境遇を素直に認めました。神様は、ご自分の御心と救いを成し遂げるために、時に私達の人生の器を空にされることもあります。
(結論)どんな悲惨な状況であっても、神様に立ち返れば生きる道が開かれます。
(4章13~17節)ナオミは、家を受け継ぐ孫を得て大きな喜びに満たされます。ルツは、(マタイ1章2~6節)異邦人ながらダビデ王の先祖となりメシアの系図に書き記されました。いつでも、何歳になっても、立ち返ればそこから祝福が始まります。