礼拝メッセージ 2020年 3月29日
説教題 「私の杯はあふれます」
聖 書 詩篇 第23章 1~6節
(序論)今日の23篇は「言葉で書かれた絵」とも言われます。
この23篇を読むと、目の前に一つの風景が浮かびます。青い空の下緑の牧草、そして小川が流れ、羊たちが満腹するまで草を食べ、渇きがいやされ、小羊が駆け回り、疲れたら安心して眠っている状況です。
(本論) 1)ひつじと羊飼い
4節に「死の陰の谷」「わざわい」「敵」という言葉が出てきます。
私は、23篇を心に描く時、緑の牧場の後に聖書はこのような苦難を加えています。この世は、すべてが緑の牧場ではないからです。
ですから、羊には羊を守り、導く羊飼いが必要なのです。羊飼いなしには、羊はそれを楽しむことは出来ません。
2)客人を迎えた主人
5~6節には、主人とその客が描かれています。古代の中東では、主人が大切な各を迎える時には、まず、客人の足を水で洗い、挨拶の抱擁をし、その人の頭に香油を塗るという風習がありました。普通、客人を迎えた主人は、客人に杯を持たせ、その杯にぶどう酒を溢れるまで注ぎます。それは「この杯に注がれたぶどう酒のように、私はあなたに溢れるばかりの友情を持っています」ということを表すためでした。ですから、「あなたは…私のこうべに油を注がれる。私の杯は溢れます」は、私たちが主の大切な友として、愛をもって受け入れられる喜びを歌った言葉なのです。
イエス様が最後の晩餐の席で、弟子たちを「友」と呼び、弟子たちにその愛を注がれたことを思い起こさせます。最後の晩餐で主は、弟子たちに杯を与えられましたが、その杯は、主の愛で満ち溢れるものでした。
(結論) 詩篇23篇は「主の晩餐」の中に見事に描き出されています。私達は主のしもべ、でしかないのに「主の晩餐」では、主は私達を客人として、また友として迎え、その聖なる友情を確認してくださるのです。この世に「死の陰の谷」や「わざわい」があり「敵」が目の前にいたとしても、主を信じる者を守り、導き、救い出してくださいます。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。…わたしの杯は溢れます」という言葉のとおり、満ち足りた人生の喜びを私達も体験いたしましょう。