礼拝メッセージ 2015年 1月 25日
説教題 「和解」
聖 書 コロサイ人への手紙 第1章21~23節
聖 書 コロサイ人への手紙 第1章21~23節
(序論) 聖書は「あらゆる出来事を通して私たちを神様に結びつける」と教えます。順境の時も逆境の時も、神様がこれらの中を「通過せよ」と導いてくださると信じる時、希望を持って前向きに生きることができます。神様は信じ従う者に失望を与えない結果に導いてくださいます。闇の深さの後に朝が来て、冬の寒さの中に春を期待するように、人はいくつかの曲がり角を通った後で、神様はここに来るために私たちと共に歩いてくださったのだと納得させられます。「神は愛なり」、これがクリスチャンの合言葉です。
(本論) コロサイ人への手紙は、パウロの獄中書簡と呼ばれるものの一つです。彼はローマの獄中で、自分の宣教によって救われた人々のたくましい育ちを祈り気づかいながら、これらの手紙をしたためました:エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙。「本物の信者たれ」と獄中で書いています。「私の宣べ伝えた福音は何であるかを聞き直し、聖霊の導きの中で教えられ養われ成長しますように」と、パウロのやさしさと厳しい導きが行間から伝わってきます。彼は獄中という疎外された孤独の中で、自分の信仰の原点を彼らに語ります。ご自身の十字架の血によって和解の道を作ってくださった神様の一方的な愛の赦しによって、私た ちを聖なる傷のない責められるところのない者として、御前に立たせてくださったのです。神様がご自身の働きに私たちを予定されていることは、なんと素晴らしい感動ではありませんか。多くのクリスチャンがこの感動に立ち上がって、神様の証人の働きに自分を捧げています。
(結論) パウロの獄中書簡は、喜びの書簡とも言われています。十字架と復活を私たちも自分の信仰の確かさのよりどころにしましょう。神が私たちの味方として勝利を約束されています。揺らぐことなくしっかりと聖書の示す信仰に立って、信仰から信仰に共に駆け抜けてまいりましょう。人は迷うものですから、立ち止まって誰かと共に祈り合い、教え合っていきましょう。