2018年12月27日木曜日

礼拝メッセージ  2018年 12月 23日 
説教題  「御心にかなう人々」 
聖  書  ルカによる福音書 第2章8〜14節
(序論)ヨセフとマリヤは住民登録をするために、ベツレヘムに行き彼らがそこにいる間にマリヤは月が満ちて初子を産み、飼い葉おけに寝かせます。この土地にいた羊飼いたちは、救い主がお生まれになったことをみ使いから聞きます。すると天の軍勢が現れ、神の栄光と地の平和について神を賛美します。
(本論)1.約束に真実な神様  今日の箇所は、当時の政治的状況を描いており、イエス様の誕生が歴史的事実であることを立証しています。 当時世界を支配していたのは皇帝アウグストでしたが、実質的な統治者は御子イエス様です。イエスがダビデの家系の永遠の王としてお生まれになったことは、約束の成就です。(ミカ52) 神様は、預言者ミカの預言を成就するため、当時よほどの事情がなければ居住地を離れなかったヨセフとマリヤを、住民登録のためにベツレヘムに行かせます。こうして、ナザレのイエス様がダビデの町ベツレヘムでお生まれになりました。
 神様は、約束されたことを真実に実現されるお方です。
2.御心にかなう人々に平和の約束  救い主の誕生の意味を知らなければ、その祝福を受けることは出来ません。人々が寝入ってる夜、救い主の誕生の知らせを最初に聞いた人達は、野で羊を飼っていた羊飼いでした。彼らは、当時、身分の低い人たちでした。貧しく希望の無かった彼らに、救い主が来られたという喜びの知らせが伝えられます。イザヤは、救い主を貧しい者とへりくだる者とを公正にさばかれる正義の王であると預言しました。(イザヤ112-4) 誰でもクリスマスを歓迎し、喜ぶことが出来ます。しかし、救い主の誕生の祝福は、「御心にかなう人々」にとって、平和だからです。イエス様は、私たちを神様と和解させて下さった平和の王です。
(結論)慌ただしい年末の雰囲気に流されず、家畜小屋にみどりごとして来られたイエス様を、深く黙想したいと思います。人類の救いに対する神様の約束を成就するために、天の御座を捨ててこの地に来られたイエス様を賛美し、偉大な喜びの知らせを広く伝えたいものです。

2018年12月9日日曜日

礼拝メッセージ  2018年 12月 9日 
説教題  「待った後に来る神の救い」 
聖  書  ミカ書 第5章2〜4節
(序論) ベツレヘム・エフラタは、ボアズ、エッサイ、ダビデの町です。ダビデの家から支配者が出るという約束は、ダビデの子孫による永遠の統治の約束を想起させます。「パンの家」を意味する「ベツレヘム」と「実を豊かに結ぶ」を意味する「エフラタ」という地名自体が希望の世を示しています。この小さな町が神様の奇跡と摂理を見せてくれるのです。
 
(本論) 2節の預言は、イエス様が誕生された時、東の国の博士たちがエルサレムに来て、ヘロデ王に「救い主がお生まれになられた場所はどこですか」と聞いたとき、律法学者(聖書学者)が引用したみ言葉です。
 1. 約束 メシヤが来られる52) メシヤは、ヘブル語では「油注がれた者」の意味で、ギリシャ語では「救世主」の意味があります。神様は預言者ミカを通して罪に対する裁きと共に、イスラエルを治めるメシヤがベツレヘムから生まれることを約束されます。メシヤの誕生は世の始まる前から計画されていました。人が罪を犯す前に、すでに人を救うことを定められたのです。罪によって死ぬしかない人間にとって、大きな希望のみ言葉です。
 2. 信仰 メシヤが来られるまで53 ユダの民はメシヤが来て救って下さる時まで信仰と忍耐によって待たなければなりません。メシアを待つ間、民はバビロンに連れて行かれ苦しみ、敵のあざけりや迫害を受けます。時には、世の豊かさに惑わされることもあるでしょう。これは信仰を揺るがすものですが、聖徒はあらゆる状況で神の救いを渇望し、信仰にとどまらねばなりません。
 . 成就 メシヤが来られたら549) メシヤが来られたら、敵から民を救い出し、回復させてくださることにより、主の偉大さが現わされます。メシヤは彼らの牧者となられ、その御名の威光によって民を養い、若い獅子のように強くされ、彼らに全き平和をくださいます。私たちもキリストを王、主としてお迎えする時、世のむなしい束縛から抜け出し真の平和を味わうことが出来ます。
 
(結論) ローマの支配、ヘロデ王の悪政により、民衆は悲惨な生活を送っていました。しかし、そうした暗黒の時代は無意味に続くものではなく必ず夜明けが来ることを聖書は語ります。待ち望む信仰が、神の栄光を受けます。主に信頼する者は決して失望に終わりません。「妊婦の苦しみも産み落とすまで」。後は、喜びと平安で包まれます。

2018年12月3日月曜日

礼拝メッセージ  2018年 12月 2日 
説教題  「インマヌエルの信仰」 
聖  書  マタイによる福音書 第1章18〜23節
(序論) クリスマスとは、キリストの誕生を祝う、礼拝、祭りを意味します。救い主イエス様が共におられる、至上の喜びに溢れるのがクリスマスです。マタイ28章で「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなた方と共にいます。」とイエス様は語られました。神は、いつでも、どこにいても、どんな状況に置かれても共にいて下さり、眠ることもまどろむこともないお方です。
 
(本論) イエス・キリストの系図は42代続き、突然、イエス・キリストの誕生を持って終わっています。どういう訳か、キリストの系図はイエス・キリストでストップしてしまいました。それはただ一つ、彼は聖霊によって身ごもったということです。そして彼は、神の子であり、神御自身であったということです。アブラハムからダビデ王まで家系は上昇します。ダビデからエコニアまでは皆ユダの王でした。それから以降はダビデ家は落ちぶれて、ヨセフの時代には田舎の大工になっていました。しかし、そこに神はイエスキリストを生まれさせられたのです。
 1. 希望の神  キリストの系図の中には、4人の異邦人の女性が登場します。イスラエル人の目からは、いずれも汚れた人たちでした。しかし主は、その汚れを超えて御子イエス・キリストを約束通りダビデの家系に出現させてくださいました。どんなに落ちぶれても、汚れていても絶望することはありません。そこに御子イエス、救い主の命を、注ぎこまれる主を仰ぎましょう。
 2. インマヌエルの神  救い主の誕生は、さかのぼること600年も前に、イザヤが預言したことでした。「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(123) 「インマヌー」が「宿る」、「エル」は「神」です。インマヌエルの意味は「神は我らに宿る、我らと共におられる」と言う意味です。どんなに状況が悪くなっても、国が滅ぼされそうになっても「神が我らと共におられる」と言う、この御言葉は真実だということです。そして、これが神様が私たちに与えて下さったしるしなのです。
それがこのクリスマスの「イムマヌエル=神我らと共にいます。」と言う意味です。
 
(結論) イエス・キリストを受け入れ罪赦され、きよめられ、日ごとのディヴォーションにより主と交わり、神様と共に歩む者とさせていただきましょう。また、イエス・キリストの誕生が、ヨセフの御言葉に従う従順な信仰を通して、誕生されたことを覚え、御言葉に従う信仰に励みましょう。