2017年1月29日日曜日

礼拝メッセージ  2017年 1月 29
説教題  「私は弱い時に強い」
聖  書  コリント人への第二の手紙 12章9,10
(序論)使徒パウロを高ぶらせず、自慢出来ないようにしたとげは、今日私達にもやって来て、私達が高ぶらず神様を離れないように、いつも私達を警戒させ目覚めさせます。
(本論)まず、とげは弱さです。ここで弱さというのは病気のことではありません。神様は、罪や病気をとげに用いられません。なぜなら、イエス様がこの地へ来られた時行く所どこででも、罪を赦し、病気を治されたからです。イエス様がこの地へ来られた目的は、人類を救うためでした。ですから、病気はとげではありません。ここで言う弱さは、肉体的、精神的にしっかりしない虚弱なことを指します。
 次に、とげは屈辱です。屈辱とは馬鹿にされ、辱しめられることです。もしあなたが神様の恵みから離れ世俗化したり、高ぶるようになると、あなたの夫や妻、子ども、あるいはあなたが祝福した(信頼していた)人から中傷されたり辱しめられたり、私達がすること全てに呪いが臨んで、心に悲しみや苦痛を受けるでしょう。事業にも失敗し、家庭でも失敗し、なすこと全てが失敗してしまいます。これもとげです。
 次に、困難です。困難とは私達が簡単に処理することの出来ない難しい問題を指します。生活が苦しくなり、ことがなりそうでならず苦悶します。このような、弱さ、屈辱、苦難、困難のとげがやって来て刺すなら、それ神様が私達を呼んでくださる印であることに気づかなければなりません。
(結論)神様は、私達がとげに刺される時、悔い改めて立ち直ることを願っておられます。ですから、人生の中でこのようなとげが、生えて来たときには、神様の愛をもう一度悟って感謝し、心を立ち戻らせて神様のみ言葉に立ち返って、信仰を回復するときです。「私の目には、あなたは高価で尊い。私は、あなたを愛している(イザヤ書43章4節)

2017年1月22日日曜日

礼拝メッセージ  2017年 1月 22
説教題  「勝利は賜物」
聖  書  ヨシュア記 6章1〜5
(序論)ここで大切な言葉は「わたしはエリコ……を、あなたの手に渡した」です。ヨシュアに問題であったことは、神には問題ではなっかったということ、これは一条の光のように、きらめく真理です。
(本論)「あなたの手に渡した」と完了形で言われました。どんなしるしを与えることなく、ただそのことだけを宣言されたのです。けれども難攻不落と言われたエリコの高い城壁は天にそびえています。どこから、どういう風に、攻略したらいいのか…。しかし、主のご指示は奇妙な言葉でした。「エリコの城の回りを六日間一日一回グルグル回り、七日目には七回回って大声を上げよ」ということです。そうすれば城壁は、崩壊し勝利できるというものでした。
 第一に、あなたなら、これが神様のご指示であることを知っていたとしても、従えますか? ヨシュアは、従いました。民らも従いました。そして、エリコは瞬時にして崩壊しました。民たちは一週間待ちました。一日一回、回るだけの指示、二日目、三日目…それはどんなにか、じれったく、長かったことでしょう。しかし、待たねばなりません。そして、意味が分からなくても。服従です。信仰は服従し、日一日と待つことによって信仰は深められ熟成します。次第次第に蓄電・濃縮され一挙に爆発したのです。
 第二に、神様の意図は、勝利であり、その勝利を賜物として受けさえすればよいものでした。パウロは、「私達の主イエス・キリストによって、勝利を与えて下さる神に感謝する」と言っています。真理の一面がここにあります。
(結論)私達は、勝利を目標と考えがちですが、神のみ言葉は、それを賜物であると言います。目標と賜物は非常に違います。勝利は、はるかかなたの上にある目標ではなく、私達が、主イエス・キリストにあって、今、ここでいただくことのできる、神様よりの賜物なのです。信仰と服従によって。
(イザヤ41章10節、歴代志下20章17節)

2017年1月15日日曜日

礼拝メッセージ  2017年 1月 15
説教題  「信仰の遺産と幸いな人生」
聖  書  テモテへの第二の手紙 1章1〜7
(序論)パウロは、霊的な子であるテモテのことを、夜昼祈りの中で絶えず思い起こし、彼の祖母と母を通してテモテに純粋な信仰が宿ったことを神様に感謝します。神が与えて下さったものは、力と愛と慎みの霊です。神の力によって、福音のために自分と苦しみを共にしてくれるように頼みます。
(本論)信仰こそ最も大切な遺産です。ローマの牢獄に入れられて、死を前にしているパウロは、自分の霊的な同労者であるテモテのために、絶えず祈るだけでなく、彼に宿った信仰の遺産に対して感謝します。その純粋な信仰は、祖母ロイスから母ユニケに受け継がれ、それがテモテにも受け継がれたことを語ります。テモテが受け継いだ最も偉大な遺産は、信仰です。私達も、親、または誰かから信仰を受け継ぎました。これをしっかりと守り、自分の子供や次世代に受け継がせることが、私達の役割です。普段の力ある祈りや信仰生活は、次世代を福音に導くための大きな力です。
 次に、神様が私たちに与えて下さった最高の賜物は、私達のうちにおられる聖霊です。パウロはテモテに、彼が按手を受けたときに神から与えられた賜物を思い起こさせます。神がテモテに与えられた霊の賜物は、恐れる霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。主の福音とその働き人たちを恥じたりせず、大胆に福音を証する歩みは、私達の力や努力によって出来るものではありません。私達のうちで働かれる聖霊に拠り頼むとき、主が力を与えて下さいます。
(結論)その時、私達は目の前の現実や世への恐れを振り払い、福音のための苦しみを喜んで耐え抜くことが出来ます。聖霊によって力づけられ福音を堅く信じ、堂々と主を証しします。人間としては弱い者ですが、聖霊の力により確かな信仰を、次世代に受け継がせることが出来ますように祈ります。

2017年1月9日月曜日

礼拝メッセージ  2017年 1月 8
説教題  「信仰の戦いと恵み」
聖  書  テモテへの第二の手紙 1章12〜20
(序論)神にあっては、赦されない罪人はいません。パウロは、自分の人生を振り返り、自分はかつて、福音をそしり、教会を迫害した、だけでなく、暴力までふるった「罪人のかしら」であったと告白します。 (13節)
(本論)しかし、神は、パウロに恵みと信仰と愛を豊かに注ぎ、彼を忠実な者と認め、聖徒の務めまで委ねて下さいました。
これが、パウロが先に経験した恵みであり、パウロのように永遠の命を得た全ての人が、経験する恵みです。死ぬしかなかった罪人が救われ、務めを委ねられ、主に仕える者とされた恵みを悟るなら、神様への感謝と賛美があふれ出てくるでしょう。これこそ福音の力です。パウロが経験した福音の力は、今もひとりの罪人を、神のかたちに造り変えています。
 信仰の戦いを、勇敢に戦い抜くために、手にするべき武器は、聖霊の剣、つまり、神様のみ言葉です。エペソ人への手紙6章17節に救いの兜をかぶり、また聖霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」とあり、またヘブル人への手紙4章12節で神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心の色々な考えやはかりごとを判別することができます」と、言います。
テモテ第二・2章14節何の益もなく、聞いている人々を、破滅に陥れるだけである言葉の争いをしないように、厳かに教えなさい」。パウロは、テモテに、間違った教えやむなしい話で、教会を混乱させる人々と霊的に戦い抜くように命じます。良心と信仰を捨て、共同体を乱すヒメナオ(テモテ第二・2章17-18節)とアレキサンデルのような人々を見分けて真理を守り共同体のきよさを保つための戦いです。
(結論)聖徒は、日々の生活の中で、信仰の戦いを戦う霊的な兵士です。ですから、主が与えてくださった「いのちのことば」によって、いつも武装しなければなりません。この戦いを勝利へと導くために必要なものは、「信仰と正しい良心」という心の器です。信仰は、聖徒の正しい行いによって現れるからです。










2017年1月6日金曜日

礼拝メッセージ  2017年 1月 1
説教題  「われら幻を見る民」
聖  書  創世記 13章14〜17
(序論) 神様は、私たちの今年一年が、恵まれ祝福を受けて生きることを願っておられます。では、どのようにしたらそうなるのでしょうか。
 その重要な秘訣が、祝福への意欲です。言い換えると「夢・幻」です。
(本論)人間は、関心を持って集中して物事を見ていくとき、驚くような想像力を発揮します。今日多くの人々は、集中的に見るところから来る力を知らないまま無分別に物事を見て、人生を失敗しています。
 創世記3章6節には、エバが善悪の知識の木の実を取って食べるようになった動機が書かれています。「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるに良く、目に慕わしく、賢くなるように見えたそれで女はその実を取って食べ…」 エバは、木の実を見てすぐ食べたのではありません。
 悪魔の誘惑を受けた後、ずっと見つめて考えていました。その結果食べずにおれなくなったのです。悪魔の罠に落ちたのです。
聖書には、この見つめる法則を正しく用いて、祝福を受けた人々も数多く見られます。その代表的な人物がアブラハムです。アブラハムがカナンの地を相続地として受け取るとき、神はカナンの地を集中的に見渡すように命じられました。99歳の時、息子イサクを下さる時にも、大空の星を浜辺の砂を思い浮かべるようにして、多くの民族があなたから出ることを思い見るようにして導かれました。ヘブル書11章1節に「信仰とは望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあります。
(結論)ゆえに、あなたも新年の願い目標を、はっきりとしかも具体的に立ててください。詩篇8110わたしが、あなたの神、主であるあなたの口を大きく開けよ。私が、それを満たそう」今から、心の中に強い神様からの恵み、祝福への意欲意識を持ちましょう。大きな夢を幻を見ましょう。「私の杯は溢れます。生きている限り必ず恵みと慈しみがともなうでしょう詩篇23:5、6節。ダビデの告白です。