説教題 「主の配慮の不思議」
聖 書 ペテロ第一の手紙 第1章22~25節
(序論)冬季オリンピックの真っ最中です。フィギュアスケートの連島出身高橋大輔さんは6位の成績でしたが、競技終了後のさわやかな笑顔に、彼の持っている何かを見せられました。一生懸命に滑った後のさわやかさ、あの笑顔に私たちが学ぶものがあるように思います。世の人に学ぶ、これも大切なことです。神様が私たちに委ねられている人生の宝を誰かに届けましょう。互いに幸せになることができます。
(本論) 四季の変化の中で、巡り来る春を信じて望みを持たされます。私たちはシャローム(平安)の届け手です。絶望という泥沼ではなく、希望の向こう岸が用意されています。生きておられる神は私たちの傍らにお立ちくださって、神を信じ、人を信じて一緒にこの道を行きましょうと道を示してくださいます。信じ合って一生懸命生きましょう。必ずそのこに神の用意された祝福がある、これが教会の伝えたい福音です。
オリンピックは平和の祭典です。神様は人間を大切にして共に生きる喜びを学ばせてくださいます。一人ひとりは頼りない灯でも、隣人に点火されて大きな平和の輪になります。預言者ミカは、「国は国に向かって剣を上げず再び戦いのことを学ばない」(ミカ4:3)、こんな時代の到来を祈り求めよと言っています。イエス様もまた、平和をつくりだす人は幸いである、それが私たちの務めである、と言ってくださっています。
(結論) 今一度、神と人の前に、柔和で謙遜に生きているかを確かめましょう。どんな時も自分が神様に愛されていることを心に刻みましょう。神様に喜ばれる人生とは、誰かの幸せのために自分に与えられている賜物を捧げて共に生きることを喜ぶことです。