2017年6月26日月曜日

礼拝メッセージ  2017年 6月 25日 
説教題  「聖なる労苦
聖  書  コリント人への第一の手紙 15章58
(序論)パウロは、いろいろと問題の多いコリントの教会員に対して、この手紙の初めで「聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものにされた方々へ」と尊称を持って呼びかけましたが、またここで「私の愛する兄弟たちよ」と呼びかけています。何気ない一句にも牧会者としての愛情深き使徒パウロの姿を見ます。同時にこの手紙は、神様がパウロを通して、現代に生きるキリスト者ひとり一人にあてられた励ましの手紙でもあります。
(本論)57節、私達はイエス様によって罪を除かれ未来を先取りする形で、復活と栄化による勝利の光栄に浴する約束を与えられています。しかもそれら全ては神様の無代価の恩恵によってなされたことですので、ただただ感謝するのみです。パウロは語ります。58節「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、主にあっては、自分たちの労苦がむだでないことを知っているのですから」と。
 このたびのホルン・ピアノコンサートのために、様々なところで、祈りをはじめ様々なご奉仕がなされました。主は知っていてくださいます。
 何よりも、宮田兄の気迫のこもった証、演奏ゆえに感謝いたします。主が水島教会を愛しておられるから、宮田兄が遣わされました。マルコ1046節では、バルテマイの魂の叫びを聞いて下さいました。あなたの嘆き悲しみに、主は耳を傾けておられます。
(結論)主は私達に目を注ぎ、叫びと願いに耳を傾けて、小さなうめき声も聞き、問題を解決してくださいます。「ダビデの子イエスよ、私をあわれんでください。」

2017年6月18日日曜日

礼拝メッセージ  2017年 6月 18日 
説教題  「あなたが口にした言葉
聖  書  民数記 14章26〜38節
(序論)神様は、民が主につぶやいているのを聞き、彼らが主の耳に告げた通りにする、と言われます。そして、20歳以上の主につぶやいた者たちは皆死に、彼らの子どもたちも40年間、荒野で背信の罪を負わせると言われます。カナンの地を悪く言いふらした者たちは疫病で死にますが、ヨシュアとカレブは生き残り約束の地に入ることが出来ます。
(本論)みだりに愚かな言葉を口にすると、むちを招くことがあります。イスラエルが懲らしめられるのは、彼らのつぶやきのためです。神様は、彼らが告げた通りに、すなわち彼らが「エジプトの地で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んだ方がましだ」(2節)と言った通りにされます。そのため、20歳以上で神様につぶやいた者は、40年間荒野でさまよい、約束の地に入れず、皆死ぬことになります。
「愚かものの口は、自分の滅びとなる」(箴言187)愚か者の口は、自分を滅びへと導くわなとなります。
 一方、荒野の生活の40年間は、懲らしめの期間であると同時に、次の世代をカナンの地を所有できる者として整える訓練期間でもあります。聖徒にとって人生の荒野は、従順の訓練場であり、霊的に成熟させる場です。
私達が口にした言葉を、神様が一言も逃さずすべて聞いておられる、ということを聖書は語ります。(27-28節)
(結論)神様は彼らが口にした否定的な言葉の通りにすると言われます。(33-35節)。不平不満を言い、悪口を言う者たちには、神様の約束が無効になったのです。私達の日々の現実が、自分の期待していたものと違う時にも、心とくちびるを守らなければなりません。軽々しく無意味な言葉を言わず、魂を生かす命の言葉を発することが出来ますように。

2017年6月11日日曜日

礼拝メッセージ  2017年 6月 11日(召天者記念合同礼拝) 
説教題  「天国への希望
聖  書  ヨハネ黙示録 21章1〜4節
(序論)「クリスチャンが行く天国とはどんな所ですか?」と聞かれた事があります。聖書にはどのように書いてあるでしょうか。ヨハネ黙示録2122章に天国の様子が書かれています。ヨハネは「天国にあるもの」より「天国にはないもの」について多く語っています。それは、天国の素晴らしさを、どのような美しい言葉で描写しても次元の違う世界、限界のある人間の能力では理解できないからです。
ヨハネは、七つの「ないもの」記して天国の一部を描写しています。
(本論)1)天国には「海」がない。
海を作られたのは神様です。人類はその海から生きるために必要な海産物から恵みを受けて来ました。海が無ければ雨も降りません。地上の植物も育ちません。
2)天国には「死」がない。
失楽園以来、人類は死の恐怖の奴隷となって、絶えず恐れと不安の中にありました。しかし、主の十字架と復活により死は滅ぼされ天国では永遠に死はありません。
3)天国には「悲しみ」がない
人類は悲しみと悲惨を経験して来ました。天国では神様が私達の涙をすっかりぬぐい取ってくださる、とあります。
4)天国には「叫び」がない。
人間の罪がある所に死が、死には悲しみが、悲しみがある所に叫びがあります。今も戦場から、子どもたちを失った父母の叫びが聞こえています。
5)天国には「苦しみ」、6)「のろわれるもの」、7)「夜」がない。
(結論)新島襄は、死を前にした最後の言葉に「グッバイ、また会わん」と言いました。この地上での歩みが全てでないこと、天国で会えることを確信していました。新島襄をはじめ「キリスト教の信仰を持つクリスチャンの一番の目標は、「天国」です。

2017年6月5日月曜日

礼拝メッセージ  2017年 6月 4日 
説教題  「火の通ったクリスチャン
聖  書  使徒行伝 2章1〜4節
(序論)教会暦で大きな祭りは3つあります。クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。ペンテコステは、ギリシャ語で「50」という意味です。ですから「50日祭」とか「5旬節」と訳されます。クリスチャンの人生は「聖霊の器」となるという目標があります。十字架の贖いを受け、復活の命に生かされ、やがて主の再臨の御前に立つものとして、日々聖霊に満たされた歩みを全うすることです。
(本論)1)五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が、天から聞こえ彼らが座っていた家中に響いた。1-2節)「天から」という言葉は象徴的です。聖霊なる神様が臨まれる時、人は天の世界が開けるのを経験します。この世が全てであるかのように思い、あくせくとし、悩んだり、妬んだり、憎んだりの人生が、一変してイエス様と共に歩む「天国への生涯」が始まります。
2)炎のような舌」(3節)弟子たちはこの日、自分の魂に「火が通る体験」をしたのでした。古い自我が聖霊の熱で溶けてしまうという体験です。クリスチャンは、水でバプテスマを受けると共に、聖霊の火による洗礼、を受けるべきとのメッセージです。
3)聖霊に満たされ」聖霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語りだした(4~8節)。この日、それぞれの生まれ故郷の言葉で、福音が語られることになりました。全世界の言葉で福音が語られた出来事は、教会誕生の記念すべきセレモニーでもありました。
(結論)クリスチャンは、何よりも聖霊に満たされることを求めねばなりません。心は主の十字架で洗われ、雪よりも白くされ、その中に輝く命、聖霊なる神様を宿し、清さも、愛も、力も、喜びも、信仰も、命も、輝きも内に住まれる聖霊の働きによるものです。信仰生涯とは、神の愛と喜びに生きることです。聖霊に満たされ、天が開けるクリスチャン、火の通ったクリスチャンとされ、全世界にこの恵みの福音を伝える証し人とされたいものです。