2014年4月28日月曜日

礼拝メッセージ2014年4月27日

教題 「勝利を賜る神」

聖 書   コリント人への第一の手紙
第15章54〜58節

(序論)誰もが今の時代は良い方向に向かっているとは思っていません。しかし、主の十字架と復活によってこの時代の只中に希望の約束があります。「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」(コリント人への第一の手紙15:57,新共同訳)

(本論) 思い煩いの多い現実の中で、「たとえ、明日この世界が滅びると聞かされても、わたしはリンゴの苗木を庭に植えるだろう」と宗教改革者マルティン・ルターは言いました。彼は当時の腐敗したカトリック教会に対してプロテスト(抗議)したのです。もう考えまい、自分の今を守り通せばそれでいいではないか、そういう逃げもあったでしょう。彼の唯一の関心は御言葉 に聴くことでした。常に聖書に帰り、聖書から出発する、この繰り返しによって自分の生き様を確認しつつ、神と人に仕え通しました。彼を支えるお方は復活のキリストでした。「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主の業に励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになるこ
とはないと、あなたがたは知っているからである。(コリント人への第一の手紙,15:58)「だから」「主にあって」このことが大事なポイントです。

(結論) 神様は私たちの苦労を用いて本当の望みと喜び、生きがいを持たせて人生の勝利者にしてくださいます。 十字架のあがないによって生きることを保障して下さるお方が私たちの救い主です。このお方にお会いし信 ずることのできる者にされたことは、まさに奇跡です。地上の生涯は死で終わるのではなく、復活とその先にある永遠の命こそ大切なのだとキリスト者は考えます。

2014年4月13日日曜日

礼拝メッセージ2014年4月13日

説教題   「つらぬく愛」

聖 書   マタイによる福音書 第26章20〜25節

(序論)今日は棕櫚の聖日です。今週は「受難週」です。
 月曜日:宮清め 
 火曜日:論争 
 水曜日:ベタニヤでの安息
 木曜日:洗足、過ぎ越しの食事(最後の晩餐) 
 金曜日:受難日(十字架) 
 土曜日:墓の中の主  
 日曜日:復活(イースター)
 これらのことを偲びつつ、木曜日の出来事に注目しましょう。


(本論) 教会の中にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵があります。屈託のない12人の弟子たちがイエス様を中心に何か話しています。「誰が一番偉いか」が話の中心だったのでしょうか。やがて起こることをご存じの主にとっては、淋しい孤独の時でもありました。「わたしをひとりでけ残す時がくる であろう。いや、すでにきている」(ヨハネによる福音書16:32)主は自分を見捨てる者たちと生涯最後の食卓を囲んでいます。大見えをきったペテロがいます。主を売ったイスカリオテのユダがいます。同じ場所、同じ時、同じ食卓を囲みつつ、主の心に思いをはせる者はいなかたのです。これが最後の晩餐でした。しかし主は彼らを愛し通されたのです。罪びとを招くことを使命とされたご自身
の「生」を全うされます。「しかしわたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った、それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカによる福音書22:32)ここにすべてを貫く神の愛があります。  

(結論) 私たちは救われた罪びとです。しかし今、信仰によってイエス様に覚えられ、祈られている私たちです。神様のお取り計らいの中に生かされているのです。ここに全ての望みの根源があります。この最後の晩餐は、キリスト者の最初の喜びの晩餐となりました。教会は今もなおこのことを引き継いで「聖餐式」を行っています。

2014年4月6日日曜日

礼拝メッセージ2014年4月6日

説教題   「従順な羊として」

聖 書   詩篇 第23篇

(序論)キリスト教のシンボルには、十字架、羊、ぶどうの木、輝く星、ともし火等があります。一般に神とはスーパーマン的なオールマイティに勝利するお方との印象がありますが、キリスト教の神は、「弱さの中に隠れている」神と言えます。

(本論) 全能の神が「心を痛めて」人間に迫る愛として存在しておられます。頑張る強さでなく、人に寄り添う「良き羊飼い」と呼ばれるにふさわしい神様です。人は良き羊飼いに養われる羊なのです。この羊は自分のすべてを他者に与えて命を全うします。羊の強さは導く者に従い通す従順の強さです。
 神様が小さい者にこそ目を注いでおられるとはなんと素晴らしいメッセージではありませんか。
「わたしは良い 羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。わたしは羊のために命を捨てる」(ヨハネによる福音書10:14,15)

(結論) このお方を信じて、その言葉に委ねた人生には、素晴らしい希望が見えてきます。私たちが信じる神は、常に私たちと行動されます。なぜならそこには神に「支持」された生き方があると預言者イザヤは言います。人は我を張る生き方から愛の犠牲を喜べる者になれます。私に近づいてくださる神からいただく力によって強くされて初めて本当の強さに生きる者にされます。これがキリスト者の誇りなのです。「主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい」(エペソ人への手紙6:10)ここにキリスト者の強さの秘訣があります。

祈り: 神よ、あなたに従うことで誘惑の道から守られます。主の導きのままに一日一日を旅立って行きます。アーメン