説教題 「神の憐れみに対する感謝」
聖 書 テモテへの第1の手紙1章12~17節
(序論)現代人は「生命」さえ自由にできると豪語します。しかし、一人の人間として自分を治めることに苦慮しているのが自分の本当の姿ではないでしょうか。やり切れないほどの孤独感、他人との格差の中で報われないいら立ち、つぶやきと嘆息の連続。しかし聖書には、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケⅡ,5:16)とあります。これが人として生きる者の基準だと言います。
(本論) 古歌に「打ち見れば何の苦もなき水鳥の脚にひまなきわが想いかな」とありますが、これが私たちの現実の生活そのものではないでしょうか。「不満の目録」と「恵みの目録」があるとすれば、「恵みの目録」をいつも持って、神の恵みを忘れないうちにメモしたいものです。この目録は、敬虔に一生を過ごそうとしている者に力を与えます。信仰を生き生きと継続維持する秘訣は、神の恵みを具体的にしばしば思い出すことだと言った人がいます。それは大伝道者パウロの姿でもあります。隣人への愛の実践の迫力ある気迫となって人の心を動かしました。それは又、マザーテレサの生き方でもありました。
(結論) パウロはエペソ人への手紙第2章で、「先には自分の罪過と罪によって死んでいた」、しかるに神はこの私に目をとめて「キリストと共に生きる」者として下さった、と言っています。
聖 書 テモテへの第1の手紙1章12~17節
(序論)現代人は「生命」さえ自由にできると豪語します。しかし、一人の人間として自分を治めることに苦慮しているのが自分の本当の姿ではないでしょうか。やり切れないほどの孤独感、他人との格差の中で報われないいら立ち、つぶやきと嘆息の連続。しかし聖書には、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケⅡ,5:16)とあります。これが人として生きる者の基準だと言います。
(本論) 古歌に「打ち見れば何の苦もなき水鳥の脚にひまなきわが想いかな」とありますが、これが私たちの現実の生活そのものではないでしょうか。「不満の目録」と「恵みの目録」があるとすれば、「恵みの目録」をいつも持って、神の恵みを忘れないうちにメモしたいものです。この目録は、敬虔に一生を過ごそうとしている者に力を与えます。信仰を生き生きと継続維持する秘訣は、神の恵みを具体的にしばしば思い出すことだと言った人がいます。それは大伝道者パウロの姿でもあります。隣人への愛の実践の迫力ある気迫となって人の心を動かしました。それは又、マザーテレサの生き方でもありました。
(結論) パウロはエペソ人への手紙第2章で、「先には自分の罪過と罪によって死んでいた」、しかるに神はこの私に目をとめて「キリストと共に生きる」者として下さった、と言っています。
人はみな目先のことで一喜一憂して、うまくいけば自分の手柄、失敗すれば他人のせいにして良い子になる傲慢不遜な者になりがちです。神は私たち一人ひとりと向き合って、自分の生き方を変えて私に従ってきなさい、と招いて下さっています。どんな時も神様がわたしと共にいてくださる、この祝福により、全てのことに感謝できる、喜びと祈りに満たされたキリスト者にならせていただけるのです。