2018年1月28日日曜日

礼拝メッセージ  2018年 1月 28日 
説教題  「新しい人生へと変える力」
聖  書  コリント人への第一の手紙 第15章9〜11節
(序論)パウロは、復活されたイエス様に出会った後、すべてが変えられました。教会を迫害し、キリストに敵対していた罪人が変えられ、主を救い主として信じ、従い、その方を伝えるようになったのは、キリストの復活が歴史的な事実であり、真理だからです。イエス様の復活には、ご自身の敵さえも信仰を持たせ、新しい人生へと変える力があります。
(本論)パウロは、自分が受け、コリントの教会に伝えた福音は、「聖書が示すとおりに」起こった出来事であると言っています。
. パウロが宣べ伝えた福音  福音は、要約すると、人類の罪の赦しのためのイエス・キリストの死と復活です。これは神様がかつて約束されたみ言葉が、キリストにあって成就した歴史的出来事であり、主イエス様の復活はその実際的な証拠です。パウロは、歴史的成就を証しするために、復活されたキリストを目撃した証人たちを挙げ、最後に自分自身のことも伝えて、キリストの復活が事実であることを強調します。キリストの福音は、いのちであり、力であり、信じるすべてのものを救う唯一の道です。
あなたは、どのように福音を聞き、福音を聞かせるべき隣人は誰ですか。
2. 神の恵みによって  福音を深く悟った人は、全てのことを神様の恵みを通して見るようになります。パウロは、神の教会を迫害したという過去により、彼は自らを「使徒の中では最も小さい者」「使徒と呼ばれる価値のない者」と告白します。自分が使徒として召され、他の使徒たちよりも多く働くことができたことも、神様の恵みであると告白します。主の恵みの前では、人間の功績を誇ることは誰もできません。 
(結論)福音がまだ理解出来ない人、信仰が弱くなった人に、復活の福音を証し出来ますように。ただ神様の恵みによって今の自分があることを告白し、福音のために労苦したことを語らず、主の恵みだけを証しすることが出来ますように強めてください。

2018年1月22日月曜日

礼拝メッセージ  2018年 1月 21日 
説教題  「成熟を目指す聖徒」
聖  書  コリント人への第一の手紙 第8章9〜13節
(序論)パウロは、「私は永久に、断じて肉を食べることはしない」と なぜ、言ったのでしょうか。
(本論)偶像に捧げられた肉について10章まで3章に亘ってこの問題を扱っています。非常に重要な問題である事が考えられます。当時コリントの町には偶像礼拝が蔓延していて、神殿の祭儀に使われた、いけにえ でさえも市場で売られていました。ある聖徒は、神は唯一の主なるイエスがおられるだけで偶像の神は実際には存在しないと言う知識を誇り、その いけにえ を自由に食べました。一方で偶像に捧げられた肉は汚れていると思いつつも市場で売っている肉を食べ、良心に呵責を覚える人もいました。知識が高ぶりや優越感から出た行動なら兄弟姉妹に悪影響を及ぼします。
 1. 「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」(1節)、愛のない知識は、真の知識とは言えません。聖徒は、知識を持つだけでなく、そこに「愛」を加えて教会を建て上げなければなりません。真の知者は謙遜です。
「能ある鷹は爪を隠す」。徳を高める会話をいたしましょう。
 2. 兄弟につまずきを与えないために コリントの町には、偶像に捧げられた肉には何か特別な効能があると信じている人がおり、キリスト者の中にその姿を見下げている人がいました。パウロは、彼らをつまずかせず 
彼らの信仰を育てるために愛の配慮をもって慎重に行動すべきと教えます。彼らの信仰を育てることを目指してキリスト者の自由をも制限することを命じたのです。「キリストはその兄弟のためにも死んで下さった」11節)
(結論)知識を多く積んだからといって神様に受け入れられるわけではありません。聖徒は、優越感や知識でなく徳を建てる謙遜さと愛をもって神様と人の前に出て行かなければなりません。

2018年1月15日月曜日

礼拝メッセージ  2018年 1月 14日 
説教題  「苦難はあっても絶望はない」
聖  書  詩篇 第71篇20〜24節
(序論)この詩篇の著者は、若い頃から自分を導いて下さった神様のみわざを、年老いても告げ知らせたいと願います。自分は、多くの苦しみに出会ったが、神様が再び引き上げてくださると確信します。 
(本論)1. 白髪になるまで主が守られる理由 信仰の人は、どんな苦難の中でも望みを抱いて神様を賛美します。神様が義をもってさばき、恵みをもって救ってくださるからです。そして、自分の人生の目的を、神様の義と救いを伝えることだと告白しています。年老いて白髪になるまで主が自分の人生になされた御業を伝えながら生きていくことを望みます。
 クリスチャンの人生は、時間が経てば消え失せるものではなく、後の世に残されて行きます。聖徒には、人生を通して神様のみわざと義を全世界に伝える使命があります。 
 2. 苦難の意味を見出す 神様は、時に理解できない苦難を与え、時に私たちを栄えさせてくださいます。私たちが苦難の中で落胆するのは、人間の目で苦難の原因を探そうとするからです。苦難を受け入れる最もふさわしい態度は、苦難の原因よりも苦難の意味を見出すことです。どんな状況に置かれても、聖徒は全能の神様に望みを置き、真実な神様を賛美すべきです。光と闇、平安と災いの創造主(イザヤ457)である神様の、いと高き義を賛美する時、人生の真の意味を見出し、幸いな人生を生きることができます。
(結論)聖徒が世の人々と異なるのは、どんなときにも主を待ち望むということです。生まれてから今まで、ただ主のお恵みによって生きてきたことを告白します。苦しみの中でも喜び、賛美することができる希望の奥義を伝える人生を生かさせてください。

2018年1月11日木曜日

礼拝メッセージ  2018年 1月 7日 
説教題  「天の平和を味わう」
聖  書  ピリピ人への手紙 4章4〜9節
(序論)何かを思い煩いはじめると、そこから否定的な考えの連鎖が起こります。それで、もっと思い煩うようになります。反対に、祈りは、良い結果を期待して神様の前に出て行くことです。祈る瞬間から問題を神の目で見はじめます。思い煩いは、目を問題に向けることですが、祈りは問題をいつも解決してくださる神様に目を向けることです。  
(本論)1. とても「喜べない状況で喜べる秘訣」があります。それは、自分が「主にあること」を覚えることです。 当時パウロはローマの牢獄に入れられていて喜べる状況ではありませんでしたが、彼は主にあって喜びました。 私たちがすべきことは、あらゆる願いを感謝をもって神様にささげ祈り求めることです。問題の前で私たちが示す反応は、祈るか思い煩うかのどちらかですが、感謝をもって祈る時に、神様の平安が私たちの心と思いを守ってくださいます。    
 2. キリスト者が「備えるべき人生の態度」があります。パウロはこれを二つの動詞で表しました。「心を留める」「実行する」です。パウロが提示した8つの徳目(8節)に、いつも心を留め守ろうとする意識を持つ。その時に、世に影響を及ぼすことができます。み言葉を知識としてだけ教えるのでなく、生きる姿を通して模範を示してくれる人がそばにいるなら大きな祝福となります。私もその一人とさせていただきましょう。
(結論) 私たちが学んだ霊的な教えに、いつも心に留め実践するなら、この世の一時的な偽りの平和でなく、天の平和を味わうことが出来ます。
「主よ私たちが、いつも祈って心の不安や思い煩いを静め、あらゆる場合に感謝して、主の平安が味わえますようにしてください。」