2020年7月26日日曜日

礼拝メッセージ  2020年7月26日
説教題 「神の僕としての自分」
  書  コリント人への第二の手紙 第6章2~10節
(序論)パウロはこの章で、まず、神様と共に働く者として、神様の恵みを無駄にしないようにと懇願します。それは、今が恵みの時、救いの日だからです。それからパウロは、この務めが、そしりを招かないために、「あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々に表している」と語ります。
 
(本論)パウロは、コリント教会の人々が、神様の恵みを無駄に受けている危険があると感じたのでしょう。パウロは、彼らにこの恵みを伝えるため、自分がどんな困難な状況や迫害を忍んで奉仕して来たことを知ってほしいと訴えます。
すなわち彼は(4-8)、「極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分を表している。」と真実に告白しています。
このパウロの偉大な力は、どこから来たのでしょうか。それは、神様の言葉であり、聖霊なる神様の力であり、神様への信仰から湧き出て来た「神様の恩寵」すなわち神様の恵みからです。このような生き方をしたパウロには、相反すると見える、二つの特色があります。
1)心を閉ざす人に対しても、大きく心を開いたことです。パウロは、コリントの人々が彼に心を閉ざしても、大きく心を開いて彼らを受け入れました。 
2)もう一つは、不信者とつり合わぬくびきを共にせず、ハッキリと彼らと分離したことです。神様の愛を持って全ての人を受け入れ、キリストに逆らう者とは、ハッキリ分離したのでした。
 
(結論)私たちは、ただ一週間に日曜日だけ、神様と共に働くのではなく、24時間、朝、昼、夜、時々刻々、神様と働きます。このような信仰意識のある所に、「聖臨在感」も鮮やかになります。パウロはさらに、恩寵経験を次のように語っています。8-10節「人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、人に知られていないようであるが、認められ、…… 悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」と。

2020年7月19日日曜日

礼拝メッセージ  2020年7月19日
説教題 「小事に忠実な人」
  書  ルカによる福音書 第16章10~12節
(序論)イエス様は、弟子たちに不正な管理人の話をされました。このたとえは、主が管理人の不正なやり方を、是認されたことを示すものではありません。
弟子たちが、不正な管理人のような切迫感と機敏さをもち、先のことに対する見通しを持って、主から託された努めに励むべきことを教えるために、このたとえを語られたのでした。
(本論)私たちは、大きな事には関心を持ちますが、小さな事には、熱心さが欠けがちで不用意になりがちです。主の目は、大事よりも小事に注がれます。他人のものを、おろそかにする人に、神様はご自身の富をお委ねにはなりません。
 神様の国の建設は、小さな愛、小さな真実、小さな働き、小さな捧げ物が、忍耐強く繰り返されて行くところに、大きな力となってきます。私たちの生活は、きわめて平凡単調なものです。すべては小さい事の連続です。しかし、その小さな歯車に、神様のみ旨を知る人は幸いです。どんなに、つまらない、と見える事にも、主の愛を注ぐ時に、喜びが与えられ心が燃えて来ます。小さなことを大切にしましょう。
 あなたが、いま主から与えられている仕事は、どんなに小さく見えても、それは素晴らしい仕事です。その小事に、祈りと愛と真実を打ち込めば、そこに主の御姿を発見するでしょう。大事に憧れて、現実の小事をおろそかにしてはいけません。オリンピック金メダリスト、高橋尚子選手は、毎日100㎞メートル走って練習していたと聞きました。日々の単調な積み重ねが金メダルにつながったのです。
マザー・テレサの言葉
私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。
一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さなほほえみに飢えているのです。
もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が与えなかったからです。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。
 
(結論)私たちは、救われる前の生活から聖別され、主の前に生きる者となりたいものです。そこに見える平凡単調な小さな働きも、後に、金、銀、宝石の働きであったことに気づくときが来ます。

2020年7月8日水曜日

礼拝メッセージ  2020年7月5日
説教題 「三つの約束の言葉」
  書  創世記 第28章10~15節
(序論) 今日のみ言葉は、ヤコブの旅立ちとヤコブがベテルで主に会ったことが記されています。イサクはリベカの提案を受けて、リベカの兄ラバンの所に行き、彼の娘たちの中から妻を得るように命じヤコブを祝福して送り出しました。
(本論) 真実は、ヤコブは、兄エサウから逃げて行ったのでした。父の祝福は兄エサウが貰うべき祝福を、高齢で目が悪くなった父を騙したので、兄の仕返しを恐れ逃げるしかなかったのでした。
この時のヤコブがどんな状態にあったのかということは、今日の11節の言葉が、それを端的に表現しています。11節、「とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。」石を取って、それを枕にして寝る。いわゆる野宿です。逃亡者として、ハランまでの約800キロにも及ぶ道のりを旅していくことになります。紀元前の世界における800キロの旅です。並みの旅路ではありません。死ぬ覚悟で出発するような、今の時代に置き換えたら、月に向かって宇宙に一人出て行くような、命の保証のない、大変危険な旅路です。いつ獣に襲われるか、いつ盗賊に身ぐるみ剥がされるか、生きて目的地にたどり着けるか分からない。その危険と、さらにこの旅は、兄を騙したことによる、兄に命を狙われての逃避行の旅ですから、深い孤独と恐れと罪悪感がヤコブを蝕んだはずです。今さら謝ることもできず、決して赦されもしない罪の重荷を背負いながらヤコブは、全てが漆黒に包まれる夜の闇の中で、石を枕にして横たわりました。
 その夜のことです。神様はヤコブに一つの夢をみさせられました。「一つのはしごが、地に向けて立てられている。神の使いたちが、はしごを上り下りしている」と12節にあります。一つのはしごが天に向かって伸びているのです。そのはしごは天にまで届き、天使がそのはしごを上り下りしているのをヤコブは見ました。ヤコブは大きな発見をします。
(結論) 1315節、ここで神様がヤコブに語りかけられたこの言葉の中に、三つの約束の言葉があります。それは、「いつも共にいる」と、「約束を必ず成し遂げる」、そして、「決してあなたを捨てない」と言う言葉です。約束の内容としては子孫が数え切れないとの約束もですが、私たちが今日、心にとめたいのはこの三つの言葉です。私たちの神様、主は人を祝福したいと思っていてくださるお方です。子どもも、そして私たちも、神様の祝福のもとに生きることを、なによりも神様ご自身が願っていてくださるのです。