礼拝メッセージ 2017年 3月 26日
説教題 「天使の顔をした人物 」
聖 書 使徒行伝 7章54〜60節
(序論)ステパノに関する聖書の記述は、聖霊に満ちた人という表現が4回、知恵に満ちた人という表現が2回、信仰、恵み、力という表現が1回ずつ出てきます。ステパノこそ、聖霊に支配された人生の素晴らしさを、命をかけて証明した人物です。聖霊に満たされた人生がどういうものなのか、この箇所は教えています。
(本論) 1.人格の輝き 初代教会の中で、食事の配給に関して言い争いが生じたとき、12使徒は、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち7人」を選ばせました。そして、ステパノはそのリストの最初に登場します。「評判が良い」というのは、単に信者仲間の間だけではなく、未信者の間でもそうであったという意味です。教会外の人々が「私もあのような人になりたい」と思うかどうかで、伝道の成否が決まります。聖霊に満たされたステパノは、その人格が輝き始め、その顔が天使の顔のように見えた、というほどに変えられました。
2.力を受ける 聖霊の満たしは、力の体験となって現れます。使徒の働きを貫くテーマは、「聖霊があなたがたに臨まれる時、あなたがたは力を受けます。…地の果てまで、私の証人となります」(使徒1:8)ということです。聖霊の助けがなければ、クリスチャン生活を送ることは不可能です。燃料無しに車は走らせることは出来ません。「ステパノは恵みと力とに満ち不思議なわざとしるしを行っていた」(使徒6:8)とあります。聖霊から来る力は、自己宣伝しなくても、人々が自然に認めるものです。
3.見えない現実が見える 聖霊の人ステパノは何を見ていたのでしょうか。彼には聖書の中心メッセージが見えていました。また、生けるキリストの現実が見えました。人々が、彼の説教を聞いて、怒り狂ったようにして向かって来た時、ステパノは天を見つめ、他の人々には見えなかったものを見ました。また彼には、神の愛の本質が見えました。
(結論) 迫害者たちが彼に石を投げつけていた時、ステパノはこう祈っています。「主イエスよ。私の霊をお受けください。主よ。この罪を彼らには負わせないでください。」この祈りは、イエス様の十字架上の祈りそのままです。彼の死はやがて青年パウロの回心へとつながります。一粒の麦が地に落ちて大きな実を結ぶ、というみ言葉がここでも実現します。