2021年2月21日日曜日

礼拝メッセージ 2021年2月21日
説教題 「重荷・降ろそう・贈り物」
  書  マタイによる福音書112830
(序論)「休むことが出来ない」これは、現代の私たちにとって、最も切実な問題の一つです。以前から今でも「過労死」ということが重大な問題として取り上げられています。「休むことが出来ない」という問題は、時に私たちの命にも関わるものともなります。外国語にはもともと「過労死」に相当する言葉がなかったので、海外では日本語表記で「KAROSHI」という言葉が使われるようになりました。
(本論)《疲れた者》の「疲れる」という語は、もともとギリシャ語では、「苦労して働いた結果として疲れる」という意味をもっているようです。それぞれが、職場で、家庭で、さまざまな場で、懸命に働いてその結果として疲れている。そしてその心と体の疲れを、なかなかとることが出来ないでいる、という現状があります。
1)重 荷  「休むことができない」ということを、別の言葉で表現すると、「重荷を負っている」となります。今日の言葉でも、《重荷を負う者》という言葉がありました。私たちは日々の生活の中でさまざまな重荷を負っているゆえ、「休むことができない」。 「重荷を負う」ということで言いますと、私たちは外から「重荷を負わせられている」部分と、自分で自分に「重荷を負わせている」部分の両面があります。やらねばならない仕事を幾つも課されているとしたら、それは外から「重荷を負わせられている」ということになります。同時に、そのやらねばならない仕事のことを思って、心をどんどんと重くしているとしたら、自分で自分に「重荷を負わせてしまっている」ということになります。
 私達には、罪、恐れ、心労、悔恨、死の恐れ、という重荷があります。イエス様は「重荷を負うて苦労している者、来なさい。休ませてあげよう」と約束しておられます。贈り物は、ただで頂くものです。主が喜んで与えてくださるものを、喜んで受けましょう。借りたり、買い取ったりするのでなく、もったいない贈り物として感していただけばよいのです。
 
2)安 息  第一コリント1013節《あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはない。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます》。
ここでは、神さまが私たちに《逃れる道》をも備えていてくださっていることが語られています。言い方を換えれば、「逃げ道」です。立ち向かう、のではなく、逃げる道を神様は、私たちに備えていてくださっている、と語られています。
(結論)イエス様は、「私のところに来なさい。休ませてあげよう。」イエス様は安息をお与えになります。試してみましょう。イエス様以外の希望はみな捨てて神様の言葉を信じ信頼し、御許に行きましょう。安息があなたのものになります。

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